2012年11月24日土曜日
2012年11月10日土曜日
〈民意のありか:1〉領土、振り回される島
【富田祥広】尖閣諸島の領有権をめぐり日中両国のせめぎ合いが続く。こと領土問題となると、開戦前夜のような勇ましい声が一部であがる。出口はないのか。台湾を望む国境の島、沖縄・与那国島を歩きながら、考えた。
台湾まで西へ111キロ、日本最西端の与那国島。10月半ば、日本で一番最後に沈む夕日を背に、岬から漁港を見下ろした。主がいない漁船がぽつんぽつんと岸につながれていた。
「漁には行けん。商売もできん。なのに補償はなんもない。飢え死にしろと言うのと同じさ」。地元の漁師、中島勝治さん(46)は言葉に怒りを込めた。
尖閣諸島の周辺はハマダイなど高級魚の好漁場だ。だが、9月の国有化以降、中国の監視船が繰り返し姿を見せ始めた。捕らえられるのではと不安になり、近づけなくなった。「収入は3割以上減った」
漁師たちには16年前の記憶がよみがえる。1996年3月、台湾の総統選挙を前に中国がミサイルを威嚇発射。一つが台湾を越えて与那国島の60キロ沖に着弾し、漁に出られなくなった。「本土の安全な所にいる人たちが大声出すのは勝手だけど、こっちは生活と命がかかってるんだ」
◇
《自衛隊基地ストップ》 《自衛隊誘致は悲願》
周囲約27キロの島のあちこちに、与那国町が国に要請する自衛隊配備をめぐる賛否の横断幕がはためく。
父を沖縄戦で亡くした安里与助さん(70)は「島に武器が入ると攻撃対象になる」と反対する。台湾との交易を再び盛んにし、島を活性化するには緊張を高めるべきでないと思う。賛成の金城信浩さん(68)は「自衛隊員と家族が来れば過疎に歯止めがかかる」。父は安里さんの父と同じガマ(壕(ごう))で戦死した。もちろん反戦だが、かつて1万人以上だった人口が約1600人まで減った島の将来に危機感が募る。「人がいなくなれば町も国も成り立ちません」
ただ、2人とも、尖閣諸島をめぐる日中のあつれきは距離を置いて見ていた。安里さんは「騒ぎ立てるほど相手を刺激する。互いに干渉しないほうがいいのでは」。金城さんは「結果的に両国とも国益を損ねていると思う」と言った。
◇
島の名産、アルコール度数60度の泡盛。与那覇有羽(ゆうう)さん(26)は自宅で瓶にラベルを貼っていた。酒造会社の下請け仕事で生計を立てながら、祭りや祝いの行事で三線(さんしん)を弾く。
中学卒業後、沖縄本島で琉球芸能を学んだ。「文化にとって民族意識ってすごく大事。自分が誰なのかを忘れない原点ですから」
尖閣問題をどう考えるか彼に尋ねると、しばらく言葉を探し、続けた。
「それでも、民族意識みたいなのを守るために争ってはだめ。違う文化が出会って、また新しい文化が生まれてきたんですから。閉じこもらず、心開いて」
戦前、台湾は500キロ離れた那覇よりずっと身近な都会だった。当時を知る池間苗さん(92)を訪ねた。
「昔は台湾から人がたっくさん来た。にぎやかだった」。港には台湾料理店が並び、台湾の行商が砂糖や衣服を売りに来た。修学旅行や出稼ぎ先も台湾。国境線が引かれた戦後もしばらく、密貿易が続いた。
「また台湾と自由に行き来できませんかね。中国とも仲良くして。私たちずっと、お隣なんですから」
◇
解散・総選挙の足音が聞こえてきました。政治をめぐる状況は混沌(こんとん)とし、経済の先行きも見通せません。一方で、民主主義を見つめ直そうという動きも。私たちはどこへ向かおうとしているのでしょうか。記者が各地を歩き、「民意のありか」を探します。
◇
〈領土をめぐる最近の動き〉 東京都知事だった石原慎太郎氏が4月、尖閣諸島の購入計画を表明。野田佳彦首相は7月に国有化方針を示し、9月に国有化した。領有権を主張する中国では各地で反日デモが激化し、「愛国無罪」を叫ぶデモ隊などが日系企業を焼き打ちするなど暴徒化した。韓国の李明博(イミョンバク)大統領は8月、日韓両国が領有権を主張する竹島に現職大統領として初めて上陸。日韓関係は冷え込んだ。
台湾まで西へ111キロ、日本最西端の与那国島。10月半ば、日本で一番最後に沈む夕日を背に、岬から漁港を見下ろした。主がいない漁船がぽつんぽつんと岸につながれていた。
「漁には行けん。商売もできん。なのに補償はなんもない。飢え死にしろと言うのと同じさ」。地元の漁師、中島勝治さん(46)は言葉に怒りを込めた。
尖閣諸島の周辺はハマダイなど高級魚の好漁場だ。だが、9月の国有化以降、中国の監視船が繰り返し姿を見せ始めた。捕らえられるのではと不安になり、近づけなくなった。「収入は3割以上減った」
漁師たちには16年前の記憶がよみがえる。1996年3月、台湾の総統選挙を前に中国がミサイルを威嚇発射。一つが台湾を越えて与那国島の60キロ沖に着弾し、漁に出られなくなった。「本土の安全な所にいる人たちが大声出すのは勝手だけど、こっちは生活と命がかかってるんだ」
◇
《自衛隊基地ストップ》 《自衛隊誘致は悲願》
周囲約27キロの島のあちこちに、与那国町が国に要請する自衛隊配備をめぐる賛否の横断幕がはためく。
父を沖縄戦で亡くした安里与助さん(70)は「島に武器が入ると攻撃対象になる」と反対する。台湾との交易を再び盛んにし、島を活性化するには緊張を高めるべきでないと思う。賛成の金城信浩さん(68)は「自衛隊員と家族が来れば過疎に歯止めがかかる」。父は安里さんの父と同じガマ(壕(ごう))で戦死した。もちろん反戦だが、かつて1万人以上だった人口が約1600人まで減った島の将来に危機感が募る。「人がいなくなれば町も国も成り立ちません」
ただ、2人とも、尖閣諸島をめぐる日中のあつれきは距離を置いて見ていた。安里さんは「騒ぎ立てるほど相手を刺激する。互いに干渉しないほうがいいのでは」。金城さんは「結果的に両国とも国益を損ねていると思う」と言った。
◇
島の名産、アルコール度数60度の泡盛。与那覇有羽(ゆうう)さん(26)は自宅で瓶にラベルを貼っていた。酒造会社の下請け仕事で生計を立てながら、祭りや祝いの行事で三線(さんしん)を弾く。
中学卒業後、沖縄本島で琉球芸能を学んだ。「文化にとって民族意識ってすごく大事。自分が誰なのかを忘れない原点ですから」
尖閣問題をどう考えるか彼に尋ねると、しばらく言葉を探し、続けた。
「それでも、民族意識みたいなのを守るために争ってはだめ。違う文化が出会って、また新しい文化が生まれてきたんですから。閉じこもらず、心開いて」
戦前、台湾は500キロ離れた那覇よりずっと身近な都会だった。当時を知る池間苗さん(92)を訪ねた。
「昔は台湾から人がたっくさん来た。にぎやかだった」。港には台湾料理店が並び、台湾の行商が砂糖や衣服を売りに来た。修学旅行や出稼ぎ先も台湾。国境線が引かれた戦後もしばらく、密貿易が続いた。
「また台湾と自由に行き来できませんかね。中国とも仲良くして。私たちずっと、お隣なんですから」
◇
解散・総選挙の足音が聞こえてきました。政治をめぐる状況は混沌(こんとん)とし、経済の先行きも見通せません。一方で、民主主義を見つめ直そうという動きも。私たちはどこへ向かおうとしているのでしょうか。記者が各地を歩き、「民意のありか」を探します。
◇
〈領土をめぐる最近の動き〉 東京都知事だった石原慎太郎氏が4月、尖閣諸島の購入計画を表明。野田佳彦首相は7月に国有化方針を示し、9月に国有化した。領有権を主張する中国では各地で反日デモが激化し、「愛国無罪」を叫ぶデモ隊などが日系企業を焼き打ちするなど暴徒化した。韓国の李明博(イミョンバク)大統領は8月、日韓両国が領有権を主張する竹島に現職大統領として初めて上陸。日韓関係は冷え込んだ。
登録:
投稿 (Atom)