2014年10月22日水曜日

利賀の民宿、廃業相次ぐ 民泊受け入れ強化へ

 南砺市利賀地域で民宿の廃業が相次いでいる。利賀村民宿組合への加盟は1980年代は約30軒あったが現在は12軒まで減った。行政視察やイベントの来場者が減り、売り上げが落ち込み、後継者を確保しにくいことが背景にある。旧利賀村時代以来の交流事業で受け入れる都市住民らの宿泊先となってきた経緯があることから、地元商工会は交流継続のため、新たな受け皿として民泊での受け入れを住民に働き掛けている。(井波支局長・笹谷泰)

 南砺市利賀地域に民宿ができたのは、旧利賀村が72年に東京都武蔵野市と姉妹都市提携を結んだのがきっかけ。同市の児童が課外活動で訪れるようになった。2年後には都内の短大の課外授業もスタート。児童や学生の宿泊の場として、農家の主婦らが切り盛りする形で民宿を営んだ。住民にとって生計を支える収入源の一つにもなった。

 その後、80年代に始まった世界演劇祭や利賀そば祭り、92年に開かれた世界そば博覧会などのイベントで来場者が膨らんだほか、当時は地域おこしのモデルとも評された村への視察も相次ぎ、繁盛していった。公共事業の作業員にも利用された。

 利賀を含む8町村合併により南砺市が誕生した2004年以降、行政視察は途絶えた。公共事業の減少も追い打ちとなった。

 武蔵野市の児童らを受け入れる7月と9月以外は安定した入り込みを確保できなくなり、収入は減少。地元商工会によると民宿全体の売り上げは1992年の約2億円から、現在は約5千万円に落ち込んだ。

 約30年間営業した「麻生」(同市利賀村)は一昨年に廃業した。切り盛りしてきた笠原さつ子さん(82)は、同居する長男夫婦が共働きのため、後継として頼みにくかったという。「睡眠時間が削られ、プライベートの時間も犠牲にせざるを得ない仕事だけに仕方ない」と振り返る。

 4年前に廃業した「才谷屋」(同市利賀村阿別当)は、世界そば博覧会があった90年代前半と比べ、宿泊客が4分の1に減った。廃業間際の時期の宿泊数は、紅葉や釣りなどを目的とした年十件程度にとどまり、営業を続けられなくなった。

 現在経営する民宿には、2013年3月末のスノーバレー利賀スキー場の閉鎖も打撃となっている。同スキー場近くの「まござ」(同市利賀村上百瀬)は冬期間に延べ20~30人のスキー客を受け入れていたが、昨冬は「開店休業」状態だった。経営する関稔さん(73)は「少しでも長く営業を続けたいが、いつまでできるだろうか」と不安を募らせる。

 こうした事態を受け、同市商工会利賀村事務所は新たな宿泊受け入れ先として民泊協力者を6軒確保した。交流事業を継続することにより、利賀の活力低下を防ぐ狙いがあるからだ。

 斉藤嘉久同事務所長(56)は「民泊に協力してくれる民家を1軒でも増やしていきたい」と話している。
北日本新聞2014/10/22 http://webun.jp/item/7131784