2014年6月29日日曜日

(プロメテウスの罠)県境の先で:20 移住者の支援始めた

 ◇No.963
 2011年10月、宮城県丸森町耕野(こうや)地区からの移住を決めた小山田竜二(38)・伊織(42)夫婦は、そのことを打ち明けられずにいた。
 豊かな自然が気に入ってこの町に住んだ。しかし原発事故で、丸森で得られる良さがなくなったと思う。となれば、丸森にいる意味はない。
 「でも、避難しないことを決めた人たちもいる。だから打ち明けられなかったんです」
 丸森は、その後12月に国が定めた「自主的避難等対象区域」から外れた。移住する場合、国や東京電力からの補償はなく、費用は自腹だ。県境で接する福島県伊達市は、賠償金がもっと出るのに。
 移住先は奈良県宇陀(うだ)市だった。20代のころ、奈良県内の知人宅で居候したことがある。そのときの経験からたどりついた。
 12年3月、耕野地区住民の集まりがあった。その場で伊織は移住を告白した。批判を覚悟していたのに、住民は「がんばって」と励ましてくれた。ただただ、うれしかった。
 小山田は、丸森を去ったことを避難とはとらえていない。丸森から遠く離れ、少なくとも丸森よりいい場所へ移住する。そう考えないと、気に入っていた丸森の生活をなげうつ意味がない。だからこそ、原発事故の影響は大きかったと考えている。
 移住後の12年7月、小山田夫婦は移住者の受け入れや支援を行う団体「やまとのだいち」を立ち上げた。支援を模索していた奈良県内のフリーマーケット運営者や、被災者支援に取り組む団体と動きが一致した。
 東北から移住や保養で奈良に来る場合、子ども1人に交通費1万円が出る。活動の趣旨に賛同してくれる人たちの寄付でまかなっている。
 これまで、福島県などから9世帯21人が小山田家に滞在した。宮城県からはまだいない。
 小山田は、丸森を出ると決めたときに、後ろめたさや不安が大きかった。だからこそ、移住を考える人がいれば、積極的に受け入れてあげたいと思うのだ。
 「自分たちにしかできないことだと思ったんです」
 そんな小山田が相談を重ねていたのが、同じ耕野の養蜂業石塚武夫(いしづかたけお)(43)だった。千葉県から耕野へ1997年に移住した。
 石塚も原発事故直後、妻と3人の子どもを千葉の実家に一度避難させた。だが約1カ月後、小学校の始業式に合わせて戻した。以後は避難していない。
 (岩堀滋)

2014年5月15日木曜日

(人生の楽園 夢への道)農家民宿 高知県三原村 東慶祐さん・久美さん

2014年5月15日16時30分
 ■どぶろく、交流に酔う
 東慶祐(ひがしけいすけ)さん(57歳)・久美さん(52歳)
 「昨年の今日に泊まった」と一文を添えたメールがお客さんから届き、「今年は5月の連休過ぎに伺いたい」とあった。東慶祐さん、久美さん夫妻の表情が思わずほころんだ。
 夫妻は、高知県三原村で農業をしながら、農家民宿「くろうさぎ」を営む。昨年は約300人が投宿した。リピーターも多く、開業から2年足らずの間に4度訪れた人もいた。遍路道が近く、お遍路さんの利用が多い。にがり農法で手塩にかけたコシヒカリで造ったどぶろく「こぼれ雪」や、慶祐さんが釣ってきた魚、久美さん自慢の手料理をふるまう。
 村は2004年にどぶろく特区となり、7軒がどぶろくを造る。夫妻は「農閑期の収入源になる」と加わった。実は2人ともお酒を飲まない。「酒造りなんて無理」と慶祐さんは最初反対したが、「自慢のお米に付加価値が付く」と説く久美さんに根負け。お酒が出せる店などがないと酒造免許がおりないので、07年に納屋を改装して農家喫茶を始め、免許を取った。
 店に立ち寄るお遍路さんとの交流は楽しい。「泊まってもらえば、もっとおしゃべりできる」と考え、12年に民宿を開業した。村の商工会の勧めで日本政策金融公庫から融資を受け、自己資金を加えた約800万円で離れの車庫を改築。二間を客室として提供している。
 お客さんに夕食をふるまっていると、ご近所さんも一杯やりに来て話に花が咲く。その輪の中、夫妻は会話に酔いしれる。慶祐さんは「こんな出会いが楽しい。民宿をやってなきゃ、絶対会えなかった人たちだからね」と話す。
 (沢田歩)
     *
 1泊2食付6500円。どぶろく「こぼれ雪」(720ml)は1300円。電話0880・46・2505
     ◇
 この記事はテレビ朝日系「人生の楽園」と連動しています。東さん夫妻の回は、17日午後6時から放送予定です。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11136819.html?_requesturl=articles%2FDA3S11136819.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11136819

2014年4月23日水曜日

ビッグデータ革命児、沖縄から仕掛ける流通下克上

2014/4/23 7:00 日本経済新聞 電子版

 たくましく成長を追い求める起業家たち。新たな潮流を巻き起こそうとバージョンアップを続ける彼らの挑戦を「アントレプレナー3.0」で紹介していく。
 初回の舞台はビッグデータの盲点だった食品売り場。生鮮品や総菜は、店がバラバラに商品コードを作っていた。そこに目をつけて共通コードを作り、食品売り場のビッグデータ革命を目指す男がいる。沖縄が生んだIT起業家の「流通革命」を追う。

■全国の食のデータ集積狙う

新会社を設立したアイディーズ社長の山川朝賢
新会社を設立したアイディーズ社長の山川朝賢

 「こんなデータ会社をつくったら、アマゾンが喜ぶだろう。そっくり買収しようとするんじゃないか」

 ある流通業者は、新会社設立構想を知って、そう唸った。

 ビッグデータの活用が騒がれる時代、実は重要な販売データが「分析不能」とされてきた。それが、人々の生活の中心である「食」のデータだった。

 野菜や魚などの生鮮品は、スーパーの店頭で「熊本産キャベツ」や「アラスカ産サーモン」など様々な表記で販売されている。総菜も各店舗が調理している。こうした食品は、店ごとに商品コードが異なるため、全国の販売動向を把握することができなかった。

 だが、「全国統一コード」を開発して、食のデータの集積を狙う会社が3月下旬、日本の南端、沖縄に設立された。

 日本流通科学情報センター(JDIC)。沖縄県豊見城市に拠点を置く会社は、同県のIT(情報技術)ベンチャー、アイディーズ社長の山川朝賢(56歳)によって設立された。

 「ITの革命児」。山川は沖縄でカリスマIT経営者として知られる。県内大手システム会社エス・ピー・オー(現おきぎんエス・ピー・オー)を創業し、経営が軌道に乗った1998年に全株を手放して会社を離れている。2002年にデータ分析事業を手がけるアイディーズを立ち上げ、全国の小売店から食品の販売データを集め始めた。そこで山川は壁に突き当たる。加工食品はJANコードで統一されているため、各社の情報を統合して、「売れ筋」などを分析できる。だが、生鮮品や総菜は、統合データをつくれず、精緻な販売策に落とし込めない。

 そこで、山川は、生鮮食品や総菜の商品コードを共通化する技術「i─code」の開発を続けてきた。2年前、完成が近づいた頃、山川はある不安に襲われた。

 全国的には無名に近い沖縄の会社に、日本中の流通業者が販売データを渡すだろうか。しかも、ライバル店が参加していれば、数字が筒抜けになる恐れもある。

 そこで、山川は経済産業省と協議を重ねて、「公的機関」を目指すことにした。その結果、JDICは流通から商社、公益財団法人、金融機関、業界団体まで、幅広く出資を仰ぐ方針を打ち出している。現在は沖縄県内の企業6社が出資しているが、6月に増資して株主構成を一気に広げる予定だ。

■協力店にはデータを無料提供

 情報投資が難しい地方スーパーにとって、強力な戦略ツールになる。JDICに販売データを提供すれば、その数値が解析されてマーケティング情報として戻ってくる。周辺のライバル店と比較した「販売成績」なども無料で提供される。すでに東急ストア(東京・目黒)や西鉄ストア(福岡県筑紫野市)など、地方スーパー30社1300店のデータをi─code化している。

 山川がもくろむのは、地方スーパー連合による下克上だ。現在、地方の食品スーパーが参加する新日本スーパーマーケット協会と提携交渉を進めている。会員企業は1125社に上る。ここを取り込めば、データの精度は一気に高まる。



生鮮品は、店ごとに商品も価格も様々。果たしていくらにしたら購買につながるのか
生鮮品は、店ごとに商品も価格も様々。果たしていくらにしたら購買につながるのか

 「大手流通が蓄積しているデータよりも、強力なマーケティングツールになる」

 業界大手の流通会社が、自社の販売データを解析しても、取り扱っている商品数には限界がある。だが、地方スーパーは地元産品や中小メーカーの商品なども扱うことから、膨大なデータが集積する。

 しかも、地方スーパーは、定番商品でも店によって販売価格が異なる。また、特売をかける店があれば、値下げの効果も測ることができる。しかも、周囲のライバル店への影響も数値として出てくる。こうした地域の食品販売の比較分析は、パソコンやタブレット端末に無料で提供される。

 「流通業のインフラを目指す。だから、データを提供してくれる店からはカネを取らない」

 逆に、こうした販売動向を食品メーカーや卸業者に、商品開発やマーケティング用のデータとして売っていく。その魅力を高めるためにも、山川は様々なビッグデータとの連携を模索している。すでに、天気予報を販売予測に結びつけているが、今後は交通データやテレビ番組の情報との連動も視野に入れる。CMを打った地域で販売がどう変化したのか、ライバル商品の動きも含めてリポートするという。

■「上得意客」対策は何もなし

 インターネットとの連携も進めている。日本最大の料理サイト「クックパッド」と提携、料理レシピが紹介された時、食材の販売がどう変化するのか分析している。

 「日本の地方スーパーを情報武装したい。このままでは、海外勢や大手流通チェーンに飲み込まれてしまう」

 大手の軍門には下らない――。それは、山川の半生にも重なる。

 那覇市に生まれた山川は、コンピューターの専門学校を卒業すると、地元の大手電機メーカー系列のシステム会社に就職した。1988年、30歳の時に独立、エス・ピー・オーを立ち上げる。だが、会社が安定してくると、システム構築よりも、集まったデータを分析する事業に魅力を感じていく。そのきっかけとなる出来事があった。

 地元の食品スーパーのシステムを受注しようと、店に入って棚卸しや清掃を手伝った時のこと。そこで目にしたのは、レジで販売データを取りながらも、まったくマーケティングに活用していない実態だった。販売促進策は、チラシによる特売ばかり。だが、こうした安売りで集まってくるのは、価格ばかり気にしている移り気な客層だった。日ごろから店を頻繁に利用して多額のカネを使う「上得意客」には、何の対策も打たれていない。

 「顧客データをじっくり分析してマーケティング戦略を編み出せば、日本中の小売業が乗ってくるはずだ」。山川は全国に打って出ると宣言した。だが、社員の猛反発に遭う。技術系の社員はシステム構築にこそ長けているが、データ分析には興味がなかった。沖縄から離れることへの抵抗感も強かった。

 そこで、株を手放して社長職を降り、家族も沖縄に残して単身で東京に出ることになる。成功のモデルがあった。カナダのマイレージカード運用会社に視察に行くと、様々な店舗と提携して販売情報を吸い上げ、消費を連鎖させるマーケティング戦略を展開していた。しかも、データセンターは米アリゾナ州、メール印刷はメキシコに拠点を置き、コストを抑えている。その時、山川には今の構想がすでに浮かんでいた。企画と営業部隊を東京に置き、データセンターやDM(ダイレクトメール)送付の拠点を沖縄にする、と。

■娘からの手紙に再起を決意

 だが、山川は東京で苦戦を強いられる。ポイントカードの発行会社を設立するが、大手企業は名もないベンチャー企業に顧客データを渡そうとしない。5年間の苦闘で借金が膨れあがり、東京のアパートは電気も水道も止められてしまった。

 沖縄の家に戻り、思わず弱音を口にした。それを聞き、妻はうつむいて涙を流した。

 「もう、沖縄に帰ってきたら」

 その言葉に心が揺れた。悩みながら東京に戻り、カバンを開けると1枚の封筒が出てきた。中には1万円札と、小学生になったばかりの2人の娘からの手紙が入っていた。

 「お父さん、がんばってね。これで電気と水道をつけて」

 貯めていた小遣いを入れてくれたのだろう。家族に負担をかけながら、何もできないまま諦めようとしている自分が情けなくなった。やりきるしかない。心の中で、そう繰り返した。

 2002年、再起を懸けた山川は、九州に降り立った。そして、西鉄ストアとの交渉に入る。「うちにデータを任せてくれたら、上得意客に効果的なDMを打つことができます」。そう売り込んだが、なかなか首を縦に振ってくれない。そこで、山川はこう切り出した。

 「成果がなければ、おカネはいりません」

 クーポン券が1枚利用されると22円の出来高が支払われる契約となった。DMを郵送していたら、コスト倒れになる。仕方なく、店頭に立って2000枚のクーポンを手で配った。そして、以前は5%だった利用率を35%まで上げることに成功した。

■数字と格闘、「法則」見つける

 ある日、山川はクーポンの利用状況などの顧客データを持って、アパートに籠もった。

 「もっと効果的な販促があるはずだ。その法則を見つけるまで、会社に出てこない。あとは任せた」

 社員にそう言い残して、ひとりで数字と格闘する。残された社員は、新しいデータが出てくると山川のアパートに届けた。そして3カ月が過ぎて、ついに「法則」を見つけた。

 月に2万円以上を購入する「Aランク」の客は、翌月に3割がランク外に消えている。その多くが、一時的に高額の商品を買った人だった。しかも、来店頻度は週1回(月4回)。だが、月に6回以上来店する人の多くは、Aランクのリストに載り続けている。

 そこで、Aランクの顧客に50円のクーポン券が6枚付いたDMを郵送した。すべて利用すれば、月に6回、店に足を運ぶことになる。すると、クーポン利用率が80%を超え、Aランクのリストから消えていく客がほとんどいなくなった。そこに、新規のAランク客が加わり、優良顧客が雪だるま式に増えていった。

 04年、コープさっぽろ(札幌市)でこの手法を展開すると、5年間でAランクの客数が2.5倍に増加した。こうした成果を引っさげて、地方にある大手食品スーパーと契約を交わしていった。今では46社2700店の販売データがリアルタイムで沖縄のデータセンターに送られてくる。そうした数字を分析して、「売れる店舗」を磨き上げていく。

■売り場を機敏に変え大手に対抗



チラシやDMのコストを削減するため、店内に設置するクーポン発券機を開発したことも(2010年)
チラシやDMのコストを削減するため、店内に設置するクーポン発券機を開発したことも(2010年)

 山川は特に併売戦略に力を入れる。一度、スーパーに足を踏み込んだら、次々とカゴに商品を入れてしまう「連鎖消費」を仕掛けるわけだ。この戦略で有名になった静鉄ストア(静岡市)は、JDICに期待を寄せる。

 「正直、チラシも特売もやりたくない。だから、うちでしか通用しない売り場がつくれるようにデータを分析してくれ、と言っている」(静鉄ストア会長の望月広愛)

 そのためには、地域や顧客の特徴や、地元のイベントなどを考慮して、次々と売り場を変えていかなければならない。大手流通がプライベートブランド(PB)など、価格訴求型の規格品で、地方を席巻しようとしている。そこに対抗するには、消費動向に合わせて売り場を機敏に変化させるしかない。

 それは、地方再生への道にもつながる。

 「このままでは地方の生産者や卸業者さんが倒産してしまう。地域のみなさんが生き残っていく店にする。だって、客も社員も笑顔があふれる店の方がいいでしょう。ただ安い商品だけを求めて店にきても、買い物がつまらない」(望月)

 山川が目指す先にも、「地域の店」が活力を取り戻す姿がある。流通の現場を深く知るほど、消耗戦の激しさを痛感する。ネット販売が加速度的に広まり、リアル店舗の戦いも厳しさを増している。巨大流通への対抗上、地方スーパーも店を拡大して対抗する。だが、「何が売れるか」が読めない状態で巨大な棚に商品を埋め尽くせば、廃棄ロスが増加してしまう。

■業界の営業利益率はわずか1%

 山川は、ある大手卸業者から聞いた数字が頭に焼き付いている。生鮮品の廃棄率(金額ベース)は12%、総菜にいたっては18%に上る。食品売り場全体でも、5%のロスを生んでいる。一方、業界の営業利益率はわずか1%。利益の5倍に当たる食品を廃棄していることになる。

 「今の状態で、巨大流通チェーンが本気で地域別のマーチャンダイジングを仕掛けてきたら、地方の店は淘汰されてしまう」

 だから、山川は地方スーパーにインフラのごとく、無料で情報システムを広めようとしている。残された時間は少ない。

 「今年が勝負だと思っている」。山川は口癖のようにそうつぶやく。そこには自社と地方スーパー、両者がともに厳しい戦いに追い込まれることへの焦燥感がある。だが、準備は整いつつある。日本の南端から、情報を武器にした「地方の逆襲」が動き出す。

=敬称略

(編集委員 金田信一郎)

2014年4月17日木曜日

民泊:浜松の中学生、農村体験に 事業第一陣、彦根などで /滋賀


 彦根市と愛荘、豊郷、甲良、多賀の4町が、今年度から都会の中学生を農家で受け入れる農村体験事業「民泊」を始めることになり、16日、第一陣となる浜松市立東陽中学の3年生3クラス93人を迎え入れた。


 「民泊」は、農村や山間地の文化やなりわいに触れ、地域住民との交流を通して人間性を育むことを目的とした取り組み。今年度は1市4町で、3校の受け入れを予定している。


 今回は、彦根市と愛荘町に1クラスずつ、同様の事業をしている東近江市に1クラスが滞在する。


 彦根市に滞在する生徒はこの日、午前7時に浜松市を出発し、奈良市の東大寺や京都府宇治市の平等院を見学した後、午後4時ごろバスで彦根入りした。


 彦根市清崎町のグリーンピアひこねであった入村式では、大久保貴市長が「母なる湖の懐で貴重な体験をしてください」とあいさつ。生徒代表が「浜松と彦根は遠く離れている。それぞれの文化の違いを勉強したい」と話した。


 この後、32人の生徒たちは9班に分かれて受け入れ家族と対面。1泊2日の農業体験へ向かった。【西村浩一】

2014年4月10日木曜日

(人生の楽園 夢への道)林業 富山県小矢部市 田中利行さん・彩さん

 ■深めた絆、定住の支え
 田中利行さん(66歳)・彩さん(33歳)
 ヒノキの枝でつくったカーテンの奥から赤ん坊の元気な泣き声が聞こえた。富山県小矢部市で林業と木工業を営む田中利行さん、彩さん夫妻と長男の竜生君(2)に、今年1月、新たな家族が加わった。双子の創志君と俊英君だ。2012年夏に「人生の楽園」に登場して頂いた時以上のにぎやかさと聞き、田中さん一家を再訪した。
 40歳を過ぎてスキー場のパトロール隊員になり、その傍ら木こりの技術も身につけた利行さんと、木や田舎暮らしが好きだった彩さん。10年5月に京都から小矢部市に移り住んだ。利行さんは市の「地域おこし協力隊」に採用され、森林の整備を担っていた。
 3年間の契約だった協力隊は昨年4月に一区切り。2人はその後も小矢部市に残った。協力隊の仕事の合間、地元の人たちの森の手入れなどを手伝い、地域と絆を深めたのが功を奏し、仕事が舞い込んだ。山を切り開いたり、間伐したりする作業を請け負い、木でイスやテーブルもつくっている。
 協力隊時代の収入は月十数万円で、今も同程度の収入が得られている。約3千平方メートルの畑がある家の家賃は月2万円。夫婦で野菜を育て、富山湾でとれた魚も安く手に入る。ぜいたくしなければ十分暮らせる。
 3月、東京の専門学校を卒業した久川翔大さん(20)と尾和瀬将人さん(20)が弟子入りしてきた。高校生の時に林業の実習で田中さん一家と出会い、仕事や暮らしぶりに憧れた。夫婦が面倒を見る“子どもたち”は5人に。利行さんは「グローバルな生き方ができる人材に育てたい」と話す。(大西元博)
     *
 山や庭の整備、ログハウスや家具を注文に応じてつくる。電話090・3896・2043(18~21時のみ)
     ◇
 この記事はテレビ朝日系「人生の楽園」と連動しています。田中さん夫妻の回は、12日午後6時から放送予定です。

2013年9月10日火曜日

民泊に「お墨付き」 徳島の9軒、農林漁家民宿に

写真・図版

農林漁家民宿の開業を機に手作りの「柿の宿」の看板をかける大柿兼司さん(右)夫婦=三好市井川町
 【福家司】県西部で修学旅行生の民泊を受け入れてきた家庭のうち9軒が今夏、「とくしま農林漁家民宿」となった。修学旅行生の誘致競争に有利となる上、一般の宿泊客を受け入れることもできるとして、県西部で修学旅行の受け入れ窓口となっている一般社団法人「そらの郷」が営業許可取得を勧めてきた。
 そらの郷によると、新たに取得したのは三好市の5軒、東みよし町の3軒、つるぎ町の1軒。いずれも野菜の収穫や家畜の世話、森林の間伐などの農林業体験ができる。これまで、県西部の農林漁家民宿は同市の4軒だった。
 修学旅行生の民泊は、県の方針によって、営業許可を得ていない家庭にも特例的に認められている。しかし、全国的に誘致合戦が激しくなり、地域によっては民泊家庭の多くが農林漁家民宿の営業許可を得ていることをセールスポイントとするところもあるという。
 そらの郷の得田多佳志事務局次長は「旅行会社や学校側の信頼が増す。現在の民泊家庭のうち農林漁業者がすべて許可を得ることを目標に、今後もマニュアル作成などで取得を支援していきたい」と話す。修学旅行生だけでなく、企業の研修などの一般の宿泊客の受け入れも可能になるという。得田さんは「たとえば修学旅行生が大人になって、子どもなど家族連れで再び泊まりに来ることもできるようになる」と語る。
 今回取得した「柿の宿」(同市井川町)は、そらの郷理事長も務める西井川林業クラブ会長の大柿兼司さん(64)の自宅だ。同クラブでは5軒の家庭が2006年度から修学旅行生計417人を受け入れ、林業、木工体験などを提供。大柿さんは「柿の宿の定員は4人と少ないが、修学旅行生や一般宿泊客の受け入れにメリットがあると考えて、率先して取得した。ほかの家庭にも勧めたい」と話している。
     ◇
 〈とくしま農林漁家民宿〉 国の規制緩和により、03年度から都道府県の許可により旅館業法に基づく簡易宿所よりも容易に開業できる「農林漁家民宿」が制度化された。農林漁業者の家庭に限り、宿泊者が農林漁業を体験できることが条件。規模は客室延べ面積33平方メートル以下、定員10人未満で、食事は家族と宿泊者の共同調理。県によると12年度末現在、県内には三好市上勝町各4カ所、吉野川市3カ所、牟岐町2カ所、美波、那賀川、勝浦各町各1カ所の計16カ所ある。

http://digital.asahi.com/area/tokushima/articles/OSK201309090116.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_OSK201309090116

2013年7月2日火曜日

大麻栽培、町おこしの種 鳥取・智頭、Iターン農家挑む

朝日新聞デジタル版(2013年7月2日)

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大麻栽培者免許を取得した上野俊彦さん。畑では大麻草がすくすく成長していた=鳥取県智頭町八河谷
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畑でぐんぐん伸びる大麻草=鳥取県智頭町八河谷
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鳥取県智頭町の地図

 【村井七緒子】鳥取県智頭町の山あいで、大麻草がすくすく育っている。免許を得て栽培に取り組むのはIターン農家。幻覚成分をほとんど含まない品種で、神事に使うほか、日用品や食品への加工もめざす。町は、免許取得を全面的に支援。新たな町おこしに期待をかけている。
 智頭町八河谷(やこうだに)の農家、上野俊彦さん(33)。東日本大震災をきっかけに、昨春、群馬県から家族で、受け入れの盛んな智頭町に移住した。同集落は人口約40人。高齢化率は5割を超える。
 長老から「昔はここで麻を育てていた」と聞いた上野さん。免許を得て大麻を栽培する農業法人で、以前働いていたことを長老に打ち明けると、「ここでやればいい。わしにできることは何でもやるけ」と背中を押された。
 大麻は古くから日本各地で栽培され、茎からとれる繊維をしめ縄や草履、蚊帳などの日用品に使い、種子を食料にしてきた。だが、大麻取締法で栽培が都道府県の免許制となり、伝統的祭事に不可欠な場合などに限られること、化学繊維が増えたことなどで栽培面積は激減した。
 厚生労働省によると、1963年に全国で8625人いた大麻草の栽培者は、2011年には50人となり、栽培面積も932ヘクタールから北関東滋賀県などの約5ヘクタールに減った。鳥取県でも03年以降、栽培者が途絶えていた。
 育てるにはまず栽培者免許の申請が必要だ。「1人で行っても門前払いされるのではないか」と思った上野さんは今年3月、町に相談した。熱心な説明を聞いた山村再生課の国岡秀憲さん(35)は「ぜひやりましょう」。町のイメージが悪くなる懸念もあったが、町では、地域資源を再発見して暮らしを守る取り組みをしており、「地域活性化につながるなら、やってみようと思った」と国岡さん。寺谷誠一郎町長も「おもしろい」と支援を約束した。
 準備は入念に進めた。町には、平安時代の歴史書「日本三代実録」にも登場する神社がある。神事用に今は中国製の繊維を使っているが、神社側は「収穫した麻をしめ縄などに使いたい」と言ってくれた。
 また、かつて栽培していた高齢者に取材。大きな釜で茎を蒸して繊維を取っていた様子や、丈夫な麻には多様な用途があったことなどを語ってもらい、映像に収めた。
 町を挙げての申請を受け、県は2度の協議の末、4月末に免許を交付。品種は幻覚を引き起こす成分をほとんど含まない「とちぎしろ」に限ること、盗難防止に畑の周囲に柵や監視カメラを設置することなどを条件とした。県医療指導課の担当者は、「地元の後押しもあり、神事での伝統の復元など社会的有用性が認められた」と理由を話す。
 上野さんは「町の職員が話を聞いてくれ、ありがたかった。産業として育て、活性化や雇用に貢献したい」と意気込む。今年は約2300平方メートルの畑で主に種子を収穫し、本格的に繊維が取れるのは来年から。実はみそやヨーグルトに混ぜた食品として、繊維は和紙の原料などとしても活用したいという。
     ◇
 〈大麻〉 1年草で2~3メートルに育つ。葉や花に幻覚成分が含まれるが、繊維をとる茎や、食料にする種子には含まれない。乱用防止を目的に1948年に制定された大麻取締法では、免許を受けた栽培者と研究者を除き、所持や栽培、譲渡などを禁止している。日本での栽培は、縄文時代に始まったとも言われる。神事と縁が深く、伊勢神宮三重県)のお札は今も「神宮大麻」と呼ばれる。戦前から代表的産地だった栃木県が83年に開発した「とちぎしろ」は「無毒大麻」とも呼ばれるが、これも法規制の対象。