2015年4月17日金曜日

学校統廃合:山村留学で地域の核…かつて「人口最少の村」




富山小中学校(奥)が閉校し、春から浜松市天竜区の学校に越境通学している安井恵里花さん(左)と弟の豪君。「友だちみんなで同じ学校に行きたかった」と言った=愛知県豊根村の富山地区で2015年3月25日午前9時42分、町田結子撮影
富山小中学校(奥)が閉校し、春から浜松市天竜区の学校に越境通学している安井恵里花さん(左)と弟の豪君。「友だちみんなで同じ学校に行きたかった」と言った=愛知県豊根村の富山地区で2015年3月25日午前9時42分、町田結子撮影


 かつて「日本一人口が少ない村」だった愛知県豊根村富山(とみやま)地区(旧富山村)で今春、地区唯一の学校が閉校した。都市部の小中学生が親元を離れて学ぶ「山村留学」でも知られたが、人口減少の流れには勝てなかった。「学校は地域の核だった」。住民は不安を募らせる。

 ◇愛知・豊根村の富山地区

 「友達の数は少なくても、すごく仲良くなれた。もっと一緒にいたかった」。閉校まであと数日と迫っていた3月末、地元で育ち、村立富山小中学校に通っていた安井恵里花さん(12)が通学路の階段でつぶやいた。
 同校は、山村留学を県内で唯一受け入れた小中一貫校。2014年度の児童・生徒数は小3〜中3の計18人。地元の子は7人で、11人が留学生だった。
 山村留学は旧富山村時代の1985年に始まり、10年間の休止を経て、05年から地元住民らで作るNPO法人が事業を担当した。この間、全国各地の140人以上が寮生活を送りながら学び、育った。指導員として採用された若者も村外から移住し、消防団などに参加して地域を支えた。NPO元理事長で、豊根村議の山下喜代治さん(63)は「山村留学が地域を活性化させた」。
    ◇  
 旧富山村が隣の豊根村に編入統合されたのは05年。これといった産業もない人口215人(当時)の村が、財政破綻を避けるための選択だった。「学校を残す」が合併条件の一つ。だが、子どもは減り、13年度には留学生が多数になった。数年後には地元の子がゼロになると言われた。
 豊根村は山村留学に年間1000万円を補助。財政が厳しさを増す中、村は2年前、富山小中学校を豊根小学校と豊根中学校へ編入統合することを決めた。
 今年2月の村長選。伊藤実村長(64)に対し、前村議が閉校の白紙化を求めて立候補した。しかし、伊藤村長が2倍以上の得票で再選した。
    ◇
 閉校後、富山小中学校に食材を納入していた地区唯一の商店が廃業し、60代の店主夫婦は村を出た。地元の子ども7人のうち、3人が豊根小中学校に移り、山道をバスで片道1時間かけて通う。安井さんと弟の豪君(9)ら残る4人は、隣接の浜松市天竜区にある小中学校への越境通学を選んだ。山村留学の子ども全員と、一部の指導員も村を去った。富山地区の人口は3月末現在で99人と、1年前より14人減った。

校舎の跡地利用は未定。21日には村議選が告示され、富山地区から1人が出馬予定だが、閉校問題は争点になりそうもない。「地域との関わりが特に強い学校だった。普通の閉校以上の閉塞(へいそく)感が漂うかもしれない」。住民の男性(63)が漏らした。【町田結子】

 ◇学校の統廃合◇

 文部科学省によると、過去10年の平均で年間、約500の小中高校が廃校。人口減少が要因で、同省は今年1月、約60年ぶりに公立小中学校の統廃合基準を見直し、「1学年1学級以下」の学校には早急な統廃合の検討を促した。廃校は地域の衰退を加速させる恐れもあり、「他校との合同授業」など、存続の場合の対応策も示した。

2015年2月22日日曜日

京都・伊根の漁業、写真生き生き 地元男性、22日まつりで展示


伊根で水揚げされる魚や港の様子などを撮影した写真と永濵さん(伊根町亀島・舟屋の里公園)
伊根で水揚げされる魚や港の様子などを撮影した写真と永濵さん(伊根町亀島・舟屋の里公園)
 京都府伊根町亀島の永濵克良さん(60)が自ら撮影したり、提供を受けたりした伊根浦での漁業の写真を、22日に道の駅・舟屋の里公園(同町)で開かれる「舟屋の里大漁まつり」で展示する。ブリの水揚げでにぎわう港の様子や、網に掛かった珍しい魚など、海とともに暮らすまちを生き生きと伝える写真約70枚を並べる。
 永濵さんは同町の住民団体「伊根浦創造塾」の事務局長。町おこしの一環で昨年4月から、伊根の暮らしをテーマにした写真を亀島地区で屋外展示してきた。多くの観光客が訪れるまつりでPRしようと出張展示する。
 漁船の水槽いっぱいの天然ブリや、水揚げで選別作業に当たる地元住民たち、珍しいダイオウイカやサケガシラなどの深海漁、湾内を泳ぐイルカの群れなどの写真。永濵さんは「活気ある漁業は伊根の魅力のひとつ。多くの人に見てほしい」と話す。まつり後は亀島地区内約1キロの道路沿いの舟屋や蔵の壁に再度展示する。
 まつりは午前10時から午後2時。農水産物が当たるビンゴゲームや模擬店もある。

2014年12月24日水曜日

各支局の話題【農は楽し 特区第1号の現場から】 (15)養父の味 洋菓子に

写真:手間をかけて仕込みをする上垣河大さん=養父市大屋町蔵垣拡大手間をかけて仕込みをする上垣河大さん=養父市大屋町蔵垣
 養父市大屋町蔵垣に今年5月、仏語で「大河」を意味する小さな洋菓子屋「ル・フルーブ」が生まれた。パティシエは、前回このコラムで紹介した上垣敏明さん(67)の長男、河大(こう・だい)さん(25)だ。
 この冬、2度目の寒波で雪景色になった今月中旬の週末、河大さんは自宅につくった10平方メートルほどの厨房(ちゅう・ぼう)で、地域おこしの一環で取り組む菓子作りワークショップに向け下ごしらえをしていた。厨房(ちゅう・ぼう)にあふれるユズの香り。父の敏明さんが27年前、自身の結婚記念に畑に植樹した1本のユズの木から収穫した約40個の実の皮を、シロップにつけ込んでいた。「渋皮煮をつくる要領で1日1回、5回シロップにつけて煮る作業を繰り返し、糖分を65~70%にする。細く切ってチョコにつけたり、お菓子の仕上げの飾り付けに使ったりするのですが、手間を惜しまないことがおいしいものをつくる基本です」
 中学から父の養蜂や養鶏を手伝った。料理が好きで、自宅の卵などを使って作ったシフォンケーキを地元のスキー場で販売したことも。「やるならとことんやれ」。父の言葉に二十歳の秋、修業を決意する。
 2009年のことだった。独学で作ったチョコを持って、京都府福知山市の洋菓子店を訪ねた。パティシエは河大さんの12歳年上、水野直己さん。水野さんはその2年前、仏で開催されたワールドチョコレートマスターズで総合優勝していた。その彼が河大さんのチョコを「おいしい」と言い、一番弟子にしてくれた。「今に思えば怖いもの知らず。仲間の笑い話になっている」と河大さんは振り返る。
 皿洗いに始まり、パレットナイフなどの道具の置き方なども一から水野さんに学んだ。「水野さんの動きがめちゃくちゃきれいなんです。色んな講座に出てきたが、水野さん以上に美しくかっこいい人はいない。すべてがおいしいお菓子に通じている」
 福知山のアパートに暮らし、がむしゃらに働いた。朝8時出勤、深夜の帰宅という日が4カ月ほど続いたことも。水野さんが店をリニューアルした12年、下働きを終え、チョコ部門をすべて任された。それから2年余り。出身地の福知山をこよなく愛する水野さんのように、河大さんも今年春Uターンした。
 焼き菓子やチョコをつくり、地元の道の駅やギャラリー、インターネットでも販売する。こだわるのが材料で、父の畑の一角で果物や野菜も育てる。7月、養父市で開催された「朝倉山椒(さん・しょ)Aー1グランプリ」で、山椒の香りを移したクリームが5層になった繊細なチョコ「アグリューム ジャポネ」を出品。「農業特区の養父から世界に発信できる」と絶賛され、審査員特別賞を受けた。
 「チョコは繊細で、お菓子の頂点。職人として極めるならチョコだと思います。チョコの文化を広めるのが水野さんの志ですが、私の目標でもあります」
(甲斐俊作)

2014年10月22日水曜日

利賀の民宿、廃業相次ぐ 民泊受け入れ強化へ

 南砺市利賀地域で民宿の廃業が相次いでいる。利賀村民宿組合への加盟は1980年代は約30軒あったが現在は12軒まで減った。行政視察やイベントの来場者が減り、売り上げが落ち込み、後継者を確保しにくいことが背景にある。旧利賀村時代以来の交流事業で受け入れる都市住民らの宿泊先となってきた経緯があることから、地元商工会は交流継続のため、新たな受け皿として民泊での受け入れを住民に働き掛けている。(井波支局長・笹谷泰)

 南砺市利賀地域に民宿ができたのは、旧利賀村が72年に東京都武蔵野市と姉妹都市提携を結んだのがきっかけ。同市の児童が課外活動で訪れるようになった。2年後には都内の短大の課外授業もスタート。児童や学生の宿泊の場として、農家の主婦らが切り盛りする形で民宿を営んだ。住民にとって生計を支える収入源の一つにもなった。

 その後、80年代に始まった世界演劇祭や利賀そば祭り、92年に開かれた世界そば博覧会などのイベントで来場者が膨らんだほか、当時は地域おこしのモデルとも評された村への視察も相次ぎ、繁盛していった。公共事業の作業員にも利用された。

 利賀を含む8町村合併により南砺市が誕生した2004年以降、行政視察は途絶えた。公共事業の減少も追い打ちとなった。

 武蔵野市の児童らを受け入れる7月と9月以外は安定した入り込みを確保できなくなり、収入は減少。地元商工会によると民宿全体の売り上げは1992年の約2億円から、現在は約5千万円に落ち込んだ。

 約30年間営業した「麻生」(同市利賀村)は一昨年に廃業した。切り盛りしてきた笠原さつ子さん(82)は、同居する長男夫婦が共働きのため、後継として頼みにくかったという。「睡眠時間が削られ、プライベートの時間も犠牲にせざるを得ない仕事だけに仕方ない」と振り返る。

 4年前に廃業した「才谷屋」(同市利賀村阿別当)は、世界そば博覧会があった90年代前半と比べ、宿泊客が4分の1に減った。廃業間際の時期の宿泊数は、紅葉や釣りなどを目的とした年十件程度にとどまり、営業を続けられなくなった。

 現在経営する民宿には、2013年3月末のスノーバレー利賀スキー場の閉鎖も打撃となっている。同スキー場近くの「まござ」(同市利賀村上百瀬)は冬期間に延べ20~30人のスキー客を受け入れていたが、昨冬は「開店休業」状態だった。経営する関稔さん(73)は「少しでも長く営業を続けたいが、いつまでできるだろうか」と不安を募らせる。

 こうした事態を受け、同市商工会利賀村事務所は新たな宿泊受け入れ先として民泊協力者を6軒確保した。交流事業を継続することにより、利賀の活力低下を防ぐ狙いがあるからだ。

 斉藤嘉久同事務所長(56)は「民泊に協力してくれる民家を1軒でも増やしていきたい」と話している。
北日本新聞2014/10/22 http://webun.jp/item/7131784

2014年9月30日火曜日

徳島)人目避け山村選んだ?大麻栽培など容疑の移住者ら

 大阪や愛媛から吉野川市美郷地区に移り住んだ男4人が今月、大麻の栽培や所持の疑いで県警に逮捕された。栽培を目的に、人目につきにくい山村を選んだ可能性もあるといい、自治体などが進める移住者支援への影響が心配されている。
 県警によると、4人は昨年から今年にかけ、相次いで移住した。設計士(45)と麻製品を販売する会社の役員(51)が、知人の紹介などでそれぞれ空き家を借りて入居。その後、インターネットを通じて2人と知り合った20代の2人も移り住んだ。
 逮捕時には4人の家から計数キロの乾燥大麻が押収された。設計士の男は古民家の一室を大麻の乾燥専用に使い、畑で100本以上を栽培。畑は木や雑草に埋もれ、敷地外からは見えにくい状態だった。
 「人目につかない地方の一軒家は、大麻栽培の格好の標的になる」と組織犯罪対策課の村井巨志次席はいう。地区には駐在所が1カ所、最寄りの阿波吉野川署まで車で約40分。今回は、大麻草を見つけた近くの住民の通報で発覚したが「逮捕が遅れていれば、さらに拡大したかも知れない」。
 市南西部の美郷地区は斜面に集落が散在する、のどかな山村。早春には梅が咲き、夏はホタルが飛び交う。8月末現在の人口は1102人で、旧美郷村として発足した1955年の5分の1近くに減っている。高齢化率は約5割だ。
 市は急激な過疎化人口減少への対策として、様々な移住者支援に取り組む。家を借りたい人と貸したい人を結びつける「空き家バンク」制度を設け、空き店舗で開業する人には補助金を出している。
 「町を盛り上げてくれる移住者を歓迎してきただけに、この事件はショック」と市商工観光課の担当者。移住を望む人に疑いの目を向けるわけにもゆかず、今後どう対応すればいいのか、と困惑する。
 19日にあった県議会公安委員会では、松崎清治議員が県警に移住者対策を求めた。「もろ手を挙げて呼び込む姿勢には問題がある。市町村との連携を検討しては」。これに対し、県警は「薬物に関する啓発活動を地道に続けたい」と答えるにとどまった。
 県の「新過疎対策戦略会議」委員で、地域活性化に詳しい徳島大学の真田純子助教は「事件の影響で空き家を貸し渋る人が増えるのではないか」と指摘する。
 現在の空き家バンクの制度では、自治体は貸主に希望者を紹介するだけで、その後の契約は個人間で交わされる。「悪質な移住者だった場合、貸した人に責任が集中する。地域全体で移住者を受け入れ、見守る仕組みができるといい」(藤波優)

2014年9月20日土曜日

集落存続、小学校復活にかける 縮む地方、もがく自治体

2014年9月20日01時17分
 この春、熊本の山あいの集落で、休校していた小学校が7年ぶりに復活した。たった1人の女の子を迎え入れるために。
 熊本県多良木(たらぎ)町立槻木(つきぎ)小。学校がある槻木集落は町役場から約20キロ、峠道を越えた先にある。120人近くが暮らし、10人に7人以上が65歳を超える。
 そこに昨夏、町の公募に応じて集落支援員として福岡県から上治(うえじ)英人さん(42)が移ってきた。町の非常勤職員で、お年寄りの送迎や集落のごみ拾いなどを手伝う。長女南凰(みお)ちゃん(7)が翌春に小学校入学を控えていたことから、町はわざわざ彼女のために学校をよみがえらせた。
 学校の復活は集落存続に向けた町の事業の一環だ。上治さんも大自然の中で子育てしたいと思った。小学校の再開が一家の移住の決め手に。今春には妻と南凰ちゃんと紫凰(しお)ちゃん(4)の娘2人も合流した。
 南凰ちゃんは2階建て校舎の一角で担任の先生と向かい合って学ぶ。給食は担任、教頭、用務員の3人と一緒だ。同世代の子と過ごすため、週1日は用務員が運転する車で25分かけ隣の小学校へ。「さみしくない」と南凰ちゃんは言う。
 ほかの小学校の場合、児童1人あたりの町の単年度予算が13万円に対し、ここは660万円と50倍だ。かなりの支出だが、松本照彦町長は「槻木の人を喜ばせるだけでなく、新たな世帯を呼び込むなど目に見える成果を示さなければ」とし、雇用創出も目指す。
 一方全国では、2011年度までの20年間で消えた小中学校は約5900校に上る。小学校が1校しかなく、自治体内で統合できなくなった市区町村は13年度、200を超えた。
 群馬県との境にある長野県北相木(きたあいき)村。村にある学校は北相木小のみだ。すでに中学校はない。小学校を存続させるため、村は塾の力を借りる決断をした。首都圏で人気の学習塾「花まる学習会」(本部・さいたま市)と手を結び、来年度から母子の山村留学を募る。
 名付けて「花まる北相木プロジェクト」。考える力をつける算数プリントや立体パズルなどを採り入れ、「花まるブランド」で子どもを集める狙いだ。小学校名を「花まる北相木小」とすることさえ一時検討した。倉根弘文・村教育次長は言う。「小学校を失うことは、村に未来への希望が消えること」。10月には都内で説明会を開く。
 子どもがいなくなる問題は、人口が一極集中する東京にも忍び寄る。
 都の13年の推計人口は10年前と比べて増加率は8%になる一方で、15歳未満の子どもは2%弱しか増えていない。増加は新しいマンションが建つなどした一部に限られ、11年までの10年間で閉校した小学校は93校に上る。
 東京は子どもを産み育てにくく、地方からやってきた若者たちは、なかなか子どもを持てない。東京は吸い込んだ人口を再生産せず、ブラックホールのようにのみ込んでいく。
 民間研究機関「日本創成会議」(座長・増田寛也総務相)の試算で、東京23区で唯一「消滅可能性都市」に挙げられた豊島区。1958年に約4万7千人だった小中学生が13年には約9900人まで減った。96年度には42校あった公立小中学校が、統廃合で30校になっている。
 本格的な「人口減少時代」に入った日本は、どうしたらいいのか。解が見つからないなか、自治体は手探りを続ける。
■統廃合で弱る地域
 東京の首相官邸。5月末の経済財政諮問会議で、学校統廃合の基準が取り上げられた。小さい学校が多すぎる。財政の厳しい中、統廃合が進んでいないのは問題だというのだ。民間議員たちが、時代に合わせて統廃合しやすいよう基準を見直すべきだと声をあげた。
 小学校は12~18学級、通学距離は4キロまでが望ましい――。文部科学省が定めた統廃合の基準は1956年以来、60年近く変わっていない。規模が下回る場合どうするか。新たなルール作りが求められ、統廃合への圧力が強まっている。
 高知市から約110キロの高知県大月町。海岸線の間際まで山が迫り、かつては点在する集落を行き来するには山を越えるしかなかった。各地区にあった小学校は1学年1学級を維持できず、13校(4校休校)を一気に統合し、09年に大月小学校が誕生した。国立教育政策研究所の屋敷和佳総括研究官が調べた結果、99年度から10年度までで最多の事例だった。
 「子どもたちは、地区を越えた広い交友関係ができるようになった」。鎌田勇人校長(55)は言う。鉄筋コンクリート3階建ての校舎の教室には県産のスギやヒノキを使った。だが、児童減少は止まらない。開校時に258人いた児童は、4年後の18年には約170人に減る見通しだ。
 児童の約8割がバス通学になり、最も遠い子は約14キロを30分近くかけて登校する。文教大の葉養正明教授(教育政策学)は話す。「こうした地域は、普段は少人数の学習拠点で学び、月に数回、拠点校へ足を運んで多くの児童と触れ合うネットワーク型の学習環境を整える方が有効だ」
 学校の統廃合は人口減少を加速させ、集落の崩壊を招く危険性をはらむ。
 長野県北西部の小谷(おたり)村。06年4月、役場や中学校がある村南部に、北小谷、中土(なかつち)、南小谷の村内3小学校を統廃合した小谷小学校が新たに開校した。60年には8千人弱だった村の人口は、半世紀後には6割減の約3100人になった。
 村中心部から10キロほど離れた旧中土小学校区で8月末、地元の神社で例大祭があった。県の無形民俗文化財の「狂拍子(くるんびょうし)」を、小学生の男児が2人1組で踊るのが慣例だ。小学生は5人いるものの、2人の5年生を除くと、男児は1年生1人しかいない。傍らで見守る指導役の和田初幸さん(78)は、表情が曇りがちだ。「この伝統もいつまで続けられるのか」
 旧中土小学校は60年代初頭ごろまで、300人前後の児童がいたが、高度成長期に若者が都市部に転出し、減少に転じた。78年度末で地域から中学校がなくなり、中土小は05年度末で姿を消した。
 かつては、狂拍子の保存も学校を挙げて取り組んでいたが、統廃合で地域に根ざした教育の機会は減りつつある。旧中土小出身の太田武彦村議は「都市部と遜色のない『金太郎飴(あめ)のような小学校』を作っても、地域社会の崩壊を助長するだけ」と話す。
 人口減対策の司令塔となる「まち・ひと・しごと創生本部」の設置に先駆け、8月末に首相官邸で開かれた有識者懇談会。「人口減を防ぐためには、小規模校をどんなことがあっても存続させることが重要だ」。鹿児島徳之島の大久保明・伊仙町長は訴えた。
 合計特殊出生率2・81は全国最高。伊仙町は小規模校の周りに若い人向けの町営住宅を造るなど、工夫を凝らす。大久保町長は、こう考えている。「『統廃合は時代の流れ』というのは消極的な考え方。残すにはどうするかを考えるべきだ。学校があることで世代を超えた交流が生まれる」
■韓国、地方校充実へ支援
 子供が少なくなる地域で、どう学校を維持するのか。この問題に直面しているのは日本だけではない。合計特殊出生率が1・187(13年)と、日本を上回るスピードで少子化が進む韓国では、さまざまな取り組みが始まっている。
 木曜日の午後。韓国京畿道(キョンギド)驪州(ヨジュ)市にある上品(サンプム)中学校の校舎の一室で、「ロッククライミング」の練習が始まり、何とかゴールにたどりついた生徒が、笑顔で全完根(チョンワングン)校長に抱きついた。こうした施設があるのは、特別な財政支援を受けられたからだ。
 高速道路を使えば首都ソウルから車で1時間半ほどだが、野菜農家が多い農村地帯だ。全校生徒は73人。かつては300人ほどいた時期もあるが、だんだんと減っていった。背景には、都市部への人口集中がある。人口約5千万人の韓国で、ソウルには5分の1の約1千万人が住む。
 朴槿恵(パククネ)政権は、中学に進学する際に都市部に移ってしまうケースを防ごうと、13年から15年にかけて計80校を「農漁村拠点別優秀中学校」に選定。期間は各3年で、総額1200億ウォン(約120億円)を支援するという。対象は在学生60人以上の学校で、全国に430校余りある。今年は180校から支援の希望があり、うち30校が選ばれた。
 選ばれると、自由学期制や、スポーツクラブ、芸術サークルのほか、外国語教育も充実できる。「都市の学校に劣らない特色のある学校」(教育省関係者)にするためだ。
 上品中学も昨年、「優秀中学校」に選ばれた。評判を聞きつけ、今年、学区外から9人が入ってきた。「自然の中で学べる。都市の学校のようないじめもない。保護者や地域社会との信頼関係もできる。農漁村の長所を極大化すれば、逆に都市から『教育移民』が来ることもありうる」。1年半前に、ソウル近郊の大規模な中学から着任した全校長はそう話す。
 国際的な学習到達度調査(PISA)で上位常連国の北欧フィンランド。伝統的に小規模校が多く、7~16歳の義務教育課程を教えるおよそ4校に1校が50人以下だ。その平等で質の高い教育を下支えしてきた地方の小規模校が今、存続の危機にひんしている。
 欧州経済危機をきっかけに、国や自治体の財政収支が悪化。教育予算は縮小を余儀なくされ、学校の統廃合や廃校が進んだ。02年に3600を超えていた学校数は今や7割の約2600校だ。フィンランドの教育事情に詳しい米ハーバード大のパシ・サーベルグ客員教授(53)は懸念する。「過疎化を含む人口流動はフィンランド教育の平等を崩し始めている」
     ◇
 今年生まれる子どもが、100万人に届かないかもしれない。6月までの出生数が50万人を割り込んだからだ。もしそうなれば、統計が残る1899年以来、初めてだ。人口減に直面する地方をリポートしながら、縮む時代を迎えている教育のありようを探る。
     ◇
 この連載は、浅倉拓也、岡田昇、貝瀬秋彦、斉藤智子、佐藤亜季、佐藤恵子、鈴木逸弘、渡辺志帆、編集委員・氏岡真弓、論説委員・友野賀世が担当します。

2014年9月9日火曜日

埼玉)飯能エコツアー拡大 参加者、8年で10倍に

 地域の自然を体験してもらい、観光振興につなげる「エコツーリズム」。全国に先駆けて国のモデル事業に認定された飯能市で、エコツアーの参加者が急増している。都心からの近さが功を奏し、自然を目当てにした観光客がこの8年間で10倍に増えた。一方で、観光客を呼び込み続けるための課題も見えてきた。
 市がエコツーリズムに着目したのは10年前。市域の8割近くを森林が占め、入間川や高麗川の水資源も豊富な一方で、人口減少で空き家が増え、山林の荒廃も目立っていた。
 手つかずの自然を使って、都心の観光客を呼び込めないか――。飯能市は2004年度、環境省が進めるエコツーリズム推進モデル事業で全国13地域の一つに選ばれたのを機に、エコツアーの開発に力を入れ始めた。「渓流で釣り体験」「カヌーに乗って一日漁師体験」「古民家でフランス料理を味わう」「紅葉狩りとキノコ観察」など。参加者数を制限し、専門のガイドが同行して解説するのが定番コースだ。
 こうしたエコツアーの参加者は05年度はわずか481人だったが、09年に市の全体構想が環境省からエコツーリズム推進法に基づく全国第1号の認定を受けると年々知名度が上がり、13年度の参加者は4685人に。ツアー数も当初の10から185に増えた。
 エコツーリズム担当課長の大野悟さんは「北海道の知床や鹿児島の屋久島など、指定を受けた他の著名な観光地と違い、飯能は国立公園など規制の網がかかっていない。比較的自由にツアーが企画できたのが良かった」と明かす。
 課題もある。参加者が足りずツアーが成立しなかったり、採算に見合う人数が集まらず赤字になったりすることもあるのが悩みだ。富士山や知床などを擁するライバル観光地に比べれば、里山の自然や地域の伝統文化という「売り」は地味で小規模にも映る。
 ツアーガイドもこなす駿河台大学現代文化学部の平井純子准教授は「女性限定の登山ツアー『ヤマムスメが行く』など、ツアーによってはリピーターも増えている。他の観光地にないツアーを企画し、参加者の満足度をいかに上げるかが課題だ」と話す。
 エコツアーの問い合わせは市観光・エコツーリズム推進課(042・973・2123)。(戸谷明裕)