日本の大学が世界ランキングで順位を落としている。グローバルな舞台で活躍し、日本経済をけん引し、発展させるイノベーティブで付加価値を持った人材を輩出するため、文部科学省は2014年度から「スーパーグローバル大学創成支援」を開始した。世界に通用するグローバルな人材を育成し、多様性を確保することは、国や企業、あらゆる組織に欠かせない要素だ。
ところが、英教育誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)」が毎年発表している世界大学ランキングで、日本の順位は上がるどころか下がる一方だ。東京大学は前年の35位から39位に後退。2番手の京都大学も61位から68位に順位を下げた。なぜ日本の大学の評価は下がり続けているのか、そもそも「グローバルに通用する大学」には何が求められるのか。英オックスフォード大学の教授で、以前は東大でも教壇に立っていた苅谷剛彦教授に日本の大学の現状について聞いた。
23年版の世界大学ランキングの評価軸の1つに「国際性」があります。上位800校の中に、日本の大学は1校しかありません。国際性が低い理由として何が考えられますか。
英オックスフォード大学・苅谷剛彦教授(以下、苅谷氏):大きい要因は、海外の学生の要求に見合った教育方法や内容が提供できていないことです。第一に言葉の問題もありますが、日本の大学の授業を英語で実施すれば海外の学生も集まるかというと、そうではないでしょう。欧米の学生はまず来ない。日本の大学は海外からの評価が高くないですし、他にいくらでも選択肢はあります。
アジアの国々を見ても、中国、韓国、シンガポールなど自ら国際化を進めている大学には、世界から優秀な人材が集まっています。社会も大学も“貧しい”日本にわざわざ行く必要はない。資金がない日本の大学は、お金を出して優秀な教授を呼び寄せることができない。好条件の奨学金を用意して、優秀な学生に来てもらうことも難しい。
現状、大学が海外から学生を集める方法は二極化しています。1つは、最初に日本語学校などである程度の日本語を習得してから、日本語で日本人と同じように授業を受けてもらうこと。これは私立大学でよく見られます。もう1つは、世界トップレベルの理工系の授業を英語で実施して、海外の学生を引きつけること。これは東京大学や東北大学などで実施しています。
欧州にある非英語圏の大学では、第2次世界大戦後に英語帝国主義が広がると、英語で教育を始めました。国際的な学生や教員を呼び込むためです。もう1つ、国際化を大学院にシフトしました。例えば私がいるオックスフォード大学では、学部生は8割くらいが英国出身ですが、大学院になると4割弱になります。大学院の方が留学生が多いのです。
しかし、日本はそもそも、大学院自体の拡充に失敗しているのです。
なぜ大学院を増やせなかったのでしょうか。
苅谷氏:企業による雇用の仕組みとして、理工系を除き大学院に行く必要がないからです。日本の大学は入試を難しくすることで「学生の質」を担保してきました。ここで大学の序列がほぼ決まります。そして就職活動で重視されるのは「大学の偏差値ランク」で、その学生が在学中に何をしたかはあまり重視されない。なぜなら、仕事において必要となる技術や知識は就職後に教える仕組みだったからです。学生に求めるのはいわば「地頭の良さや勤勉さ」であって大学で何を学んだかではない。医学や工学分野など一部を除いて、大学にスキルを教える役割は期待されていませんでした。それなら大学院に行く必要もありません。
女性の雇用も同じです。オックスフォードで優秀な日本人学生は圧倒的に女性が多いと感じます。なぜなら日本の社会で女性は評価されていないし生かしてもらえないから。英語ができる人は海外で学位を取って、海外で勤めようと考えるのです。大学院に行っても社会で能力を生かせないのと同じ理屈です。
一方、世界では政治家や官僚、経営者などの高学歴化が起きました。修士号や博士号を持っているのは当たり前になった。ところが日本の雇用制度では修士号を持つ必要がないし、大学で学んだことの中身が問われない。これは社会全体の仕組みの問題で、大学だけを取り出して議論しても解決しないことなのです。
日本に講義形式の授業が多い理由
日本と海外では大学の教育制度も大きく異なります。
苅谷氏:日本の場合、1科目につき授業が週1回あって、週に10科目以上の授業を受ける場合が多いですね。さらに授業の多くは100人を超える講義形式の授業で、準備も要らず、ノートを取るだけでいい。今はアクティブラーニングといって、議論したり、資料や文献を読ませたりする授業も増えていますが、読み書きする分量は海外と比べものになりません。1科目につき授業が週に数回あり、週に数科目を集中的に学ぶ海外では、指定した大量の文献を読み込んで活発に議論するのが当たり前です。
日本の制度でも、少人数制の授業や、授業や教員のサポートをするティーチングアシスタント(TA)を活用すれば、100人を3~4のグループに分けて議論するような授業は可能でしょう。場所と人材があればできるのですが、日本の大学には実施できるだけの財力がない。これらを当たり前にやっている海外の大学を知っている人たちは、日本の大学に満足するでしょうか。
日本の大学で講義形式の授業が多いのは、国のお金をかけずに大学を拡張してきた代償です。政府は明治維新以降、国策を実現するための「帝国大学」を東京や京都などにつくり、増やしていきました。その後、工業や商業が発展して近代的な知識を持った人材への需要が高まり、専門知識を習得する私立の旧制専門学校が増えましたが、政府から予算をもらえるわけでもなく、ほぼ放任状態でした。それらの多くは戦後新制の私立大学に転身し、それが日本の大学教育の拡張に大きく寄与しました。政府からの財政支援が限られたなかで多くの私大が生き残れたのは、経済発展により、私大に子どもを通わせられる豊かな家庭が増えたからです。
バブル崩壊後、日本の経済成長が止まり、政府の予算は増えず、人口が減り始めましたが、大学へ行きたい人は増えた。おかげで大学進学率は50%を超えました。資金や政府からの支援も少ない中で、講義形式は極めて効率のいい知識の伝達方法だったのです。
日本は世界の大学に比べて高等教育への投資が少ないわけですが、そんな中で日本の大学が「グローバル化」するためにできることは何でしょうか。
苅谷氏:カリキュラムや学生に求める学習のあり方を変えて、足元をしっかり固めることではないでしょうか。それは別に日本語でいいわけですよ。むしろ日本語でできないまま「グローバル化しよう」と言っても無理です。
まず、それができる教員を養成する必要があります。1科目につき週2~3回の授業をして、学生のリポートにコメントを返して、課題図書のリストをつくる。課題図書は教員も読まないといけません。週1回だけ、多くの学生に向けて講義をするのと比べて、準備の内容が違うし、負担も大きくなります。その分、教員も増やす必要があります。
日本の大学では、専任教員を雇わず、非常勤の教員に置き換える動きが進んでいます。財政面の問題があるからです。非常勤の教員にこうした負担を求めるのは、ちょっと難しいですよね。なので、少しずつ変えるしかないのだと思います。
日本企業は「グローバル化」が必要なのか
グローバルに活躍し、日本経済をけん引し、発展させるイノベーティブで付加価値を持った人材を輩出するために、文部科学省が「スーパーグローバル大学創成事業」を実施しています。外国人教員や英語の授業を増やすことが含まれるのですが、これらを増やすことが「グローバルな大学」につながるのか疑問です。
苅谷氏:グローバル化のために奨学金を出して海外の優秀な学生やポストドクターに来てもらえば研究業績は上がるでしょう。例えば沖縄科学技術大学院大学(OIST)は、国家戦略特区として資金を投入して、海外から優秀な先生や生徒を集めました(編集部補足:OISTは23年1月時点で、教員の63%、研究・事務職員の43%、博士課程学生の81%が海外出身者)。結果、学術出版の英シュプリンガー・ネイチャー発表の「質の高い論文ランキング2019」では、OISTが日本で1位、世界で9位になっています。
では、これは日本人に対してのグローバル教育なのかというと、それは別問題です。常にジレンマはあるんです。教員を含め、優秀な研究者を集めて、英語力のレベルも高い大学をつくると、むしろ日本人が入れなくなってしまう。「海外の優秀な人材を教育しているからグローバル教育なんだ」とは言えるのですが、果たしてそれでいいのか。
日本は高度成長期に「総中流社会」と呼ばれる比較的平等な社会になり、大学の大衆化も進みました。そして日本語による講義中心の授業やり方を変えないまま大学生をどんどん増やしてきたのです。それをどこから変えるか。そもそも重要なのは「企業はどれだけグローバル人材を必要としているのか」「日本人がどれだけ英語を必要としているのか」ですよね。
企業はグローバル人材を求めていないのでしょうか。
苅谷氏:実際にはあまり必要としていないと思いますよ。必要のないところに需要は生まれず、需要がなければ動機も生まれない。日本にも授業をすべて英語で行う秋田県の国際教養大学(AIU)や教育制度が米国式である東京都の国際基督教大学(ICU)のような特別な大学はあります。それらの大学には、そのユニークさを求める人たちが行って勉強するけれども、その流れが広がらないのは必要がないからですよ。
海外よりも日本の大学が優れているところ
日本にある大学だからできることは何だと思いますか。
苅谷氏:日本語で書かれた知識の質と量は相当なものです。母国語で書かれた学術的な研究や著書の蓄積という点において、欧米以外では日本がダントツです。これから中国に抜かれるかもしれませんが。
日本は独特な歴史を持つ国です。第2次世界大戦で敗れるまで富国強兵で近代国家をつくり、それが敗戦で失敗に終わる。その後、1960~70年代に奇跡的な高度成長を遂げ、そしてバブル経済が崩壊して停滞して今に至ります。加えて水俣病などの公害や大震災などの災禍もありました。これらはみなすごい経験です。日本人はきちょうめんだから、何かが起これば日本語で書き残しています。これは人類にとってすごい財産です。
大学は知の生産と再生産を担っている場です。教育で知を生産しながら、研究を通じて再生産するところに大学の本質がある。しかし、日本の大学は教育と研究を結びつける接点が弱いのです。それをうまくつなげられれば、日本の経験をどう知識として活用できるかが見えてくるのではないでしょうか。
日本の大学が海外よりも優れている点はありますか。
苅谷氏:いっぱいありますよ。国からみればこんなに安いコストで幅広い知識を多くの学生たちに提供できるのはすごいことです。それに皮肉に聞こえるかもしれませんが、講義形式の授業が多くて、学生の授業の準備負荷が小さいからアルバイトやサークル活動、インターンシップといった社会経験ができます。これはある意味、人格形成や人間関係の構築スキルにつながってきたと思います。オックスフォードではアルバイトをする余裕はまったくありません。
日本の大学は知の生産と再生産とは異なる部分で、人間形成の一翼を担ってきました。自由な4年間というのも貴重で、それが日本モデル。もちろん大学が抱える課題と向き合うことも重要だけれども、日本の歴史の中で発達した大学モデルがあって、それをおしなべてやめてしまうことが日本社会にとってプラスかは分かりませんよね。
大学だけ欧米流にしてもだめです。本質的に一番大事なのは企業だと思います。国策の推進を背景に帝国大学ができて、明治維新以降の近代化や戦後の経済成長で私大が増えたように、日本の大学は労働市場に従属してきました。だからまず、企業の人事管理や評価の仕組みが変わり、労働市場の仕組みが変わらないといけないのです。