2014/4/23 7:00 日本経済新聞 電子版
たくましく成長を追い求める起業家たち。新たな潮流を巻き起こそうとバージョンアップを続ける彼らの挑戦を「アントレプレナー3.0」で紹介していく。
初回の舞台はビッグデータの盲点だった食品売り場。生鮮品や総菜は、店がバラバラに商品コードを作っていた。そこに目をつけて共通コードを作り、食品売り場のビッグデータ革命を目指す男がいる。沖縄が生んだIT起業家の「流通革命」を追う。
■全国の食のデータ集積狙う
「こんなデータ会社をつくったら、アマゾンが喜ぶだろう。そっくり買収しようとするんじゃないか」
ある流通業者は、新会社設立構想を知って、そう唸った。
ビッグデータの活用が騒がれる時代、実は重要な販売データが「分析不能」とされてきた。それが、人々の生活の中心である「食」のデータだった。
野菜や魚などの生鮮品は、スーパーの店頭で「熊本産キャベツ」や「アラスカ産サーモン」など様々な表記で販売されている。総菜も各店舗が調理している。こうした食品は、店ごとに商品コードが異なるため、全国の販売動向を把握することができなかった。
だが、「全国統一コード」を開発して、食のデータの集積を狙う会社が3月下旬、日本の南端、沖縄に設立された。
日本流通科学情報センター(JDIC)。沖縄県豊見城市に拠点を置く会社は、同県のIT(情報技術)ベンチャー、アイディーズ社長の山川朝賢(56歳)によって設立された。
「ITの革命児」。山川は沖縄でカリスマIT経営者として知られる。県内大手システム会社エス・ピー・オー(現おきぎんエス・ピー・オー)を創業し、経営が軌道に乗った1998年に全株を手放して会社を離れている。2002年にデータ分析事業を手がけるアイディーズを立ち上げ、全国の小売店から食品の販売データを集め始めた。そこで山川は壁に突き当たる。加工食品はJANコードで統一されているため、各社の情報を統合して、「売れ筋」などを分析できる。だが、生鮮品や総菜は、統合データをつくれず、精緻な販売策に落とし込めない。
そこで、山川は、生鮮食品や総菜の商品コードを共通化する技術「i─code」の開発を続けてきた。2年前、完成が近づいた頃、山川はある不安に襲われた。
全国的には無名に近い沖縄の会社に、日本中の流通業者が販売データを渡すだろうか。しかも、ライバル店が参加していれば、数字が筒抜けになる恐れもある。
そこで、山川は経済産業省と協議を重ねて、「公的機関」を目指すことにした。その結果、JDICは流通から商社、公益財団法人、金融機関、業界団体まで、幅広く出資を仰ぐ方針を打ち出している。現在は沖縄県内の企業6社が出資しているが、6月に増資して株主構成を一気に広げる予定だ。
■協力店にはデータを無料提供
情報投資が難しい地方スーパーにとって、強力な戦略ツールになる。JDICに販売データを提供すれば、その数値が解析されて
マーケティング情報として戻ってくる。周辺のライバル店と比較した「販売成績」なども無料で提供される。すでに東急ストア(東京・目黒)や西鉄ストア(福岡県筑紫野市)など、地方スーパー30社1300店のデータをi─code化している。
山川がもくろむのは、地方スーパー連合による下克上だ。現在、地方の食品スーパーが参加する新日本スーパーマーケット協会と提携交渉を進めている。会員企業は1125社に上る。ここを取り込めば、データの精度は一気に高まる。
生鮮品は、店ごとに商品も価格も様々。果たしていくらにしたら購買につながるのか
「大手流通が蓄積しているデータよりも、強力なマーケティングツールになる」
業界大手の流通会社が、自社の販売データを解析しても、取り扱っている商品数には限界がある。だが、地方スーパーは地元産品や中小メーカーの商品なども扱うことから、膨大なデータが集積する。
しかも、地方スーパーは、定番商品でも店によって販売価格が異なる。また、特売をかける店があれば、値下げの効果も測ることができる。しかも、周囲のライバル店への影響も数値として出てくる。こうした地域の食品販売の比較分析は、パソコンやタブレット端末に無料で提供される。
「流通業のインフラを目指す。だから、データを提供してくれる店からはカネを取らない」
逆に、こうした販売動向を食品メーカーや卸業者に、商品開発やマーケティング用のデータとして売っていく。その魅力を高めるためにも、山川は様々なビッグデータとの連携を模索している。すでに、天気予報を販売予測に結びつけているが、今後は交通データやテレビ番組の情報との連動も視野に入れる。CMを打った地域で販売がどう変化したのか、ライバル商品の動きも含めてリポートするという。
■「上得意客」対策は何もなし
インターネットとの連携も進めている。日本最大の料理サイト「クックパッド」と提携、料理レシピが紹介された時、食材の販売がどう変化するのか分析している。
「日本の地方スーパーを情報武装したい。このままでは、海外勢や大手流通チェーンに飲み込まれてしまう」
大手の軍門には下らない――。それは、山川の半生にも重なる。
那覇市に生まれた山川は、コンピューターの専門学校を卒業すると、地元の大手電機メーカー系列のシステム会社に就職した。1988年、30歳の時に独立、エス・ピー・オーを立ち上げる。だが、会社が安定してくると、システム構築よりも、集まったデータを分析する事業に魅力を感じていく。そのきっかけとなる出来事があった。
地元の食品スーパーのシステムを受注しようと、店に入って棚卸しや清掃を手伝った時のこと。そこで目にしたのは、レジで販売データを取りながらも、まったくマーケティングに活用していない実態だった。販売促進策は、チラシによる特売ばかり。だが、こうした安売りで集まってくるのは、価格ばかり気にしている移り気な客層だった。日ごろから店を頻繁に利用して多額のカネを使う「上得意客」には、何の対策も打たれていない。
「顧客データをじっくり分析してマーケティング戦略を編み出せば、日本中の小売業が乗ってくるはずだ」。山川は全国に打って出ると宣言した。だが、社員の猛反発に遭う。技術系の社員はシステム構築にこそ長けているが、データ分析には興味がなかった。沖縄から離れることへの抵抗感も強かった。
そこで、株を手放して社長職を降り、家族も沖縄に残して単身で東京に出ることになる。成功のモデルがあった。カナダのマイレージカード運用会社に視察に行くと、様々な店舗と提携して販売情報を吸い上げ、消費を連鎖させるマーケティング戦略を展開していた。しかも、
データセンターは米アリゾナ州、メール印刷はメキシコに拠点を置き、コストを抑えている。その時、山川には今の構想がすでに浮かんでいた。企画と営業部隊を東京に置き、データセンターやDM(ダイレクトメール)送付の拠点を沖縄にする、と。
■娘からの手紙に再起を決意
だが、山川は東京で苦戦を強いられる。
ポイントカードの発行会社を設立するが、大手企業は名もないベンチャー企業に顧客データを渡そうとしない。5年間の苦闘で借金が膨れあがり、東京のアパートは電気も水道も止められてしまった。
沖縄の家に戻り、思わず弱音を口にした。それを聞き、妻はうつむいて涙を流した。
「もう、沖縄に帰ってきたら」
その言葉に心が揺れた。悩みながら東京に戻り、カバンを開けると1枚の封筒が出てきた。中には1万円札と、小学生になったばかりの2人の娘からの手紙が入っていた。
「お父さん、がんばってね。これで電気と水道をつけて」
貯めていた小遣いを入れてくれたのだろう。家族に負担をかけながら、何もできないまま諦めようとしている自分が情けなくなった。やりきるしかない。心の中で、そう繰り返した。
2002年、再起を懸けた山川は、九州に降り立った。そして、西鉄ストアとの交渉に入る。「うちにデータを任せてくれたら、上得意客に効果的なDMを打つことができます」。そう売り込んだが、なかなか首を縦に振ってくれない。そこで、山川はこう切り出した。
「成果がなければ、おカネはいりません」
クーポン券が1枚利用されると22円の出来高が支払われる契約となった。DMを郵送していたら、コスト倒れになる。仕方なく、店頭に立って2000枚のクーポンを手で配った。そして、以前は5%だった利用率を35%まで上げることに成功した。
■数字と格闘、「法則」見つける
ある日、山川はクーポンの利用状況などの顧客データを持って、アパートに籠もった。
「もっと効果的な販促があるはずだ。その法則を見つけるまで、会社に出てこない。あとは任せた」
社員にそう言い残して、ひとりで数字と格闘する。残された社員は、新しいデータが出てくると山川のアパートに届けた。そして3カ月が過ぎて、ついに「法則」を見つけた。
月に2万円以上を購入する「Aランク」の客は、翌月に3割がランク外に消えている。その多くが、一時的に高額の商品を買った人だった。しかも、来店頻度は週1回(月4回)。だが、月に6回以上来店する人の多くは、Aランクのリストに載り続けている。
そこで、Aランクの顧客に50円のクーポン券が6枚付いたDMを郵送した。すべて利用すれば、月に6回、店に足を運ぶことになる。すると、クーポン利用率が80%を超え、Aランクのリストから消えていく客がほとんどいなくなった。そこに、新規のAランク客が加わり、優良顧客が雪だるま式に増えていった。
04年、コープさっぽろ(札幌市)でこの手法を展開すると、5年間でAランクの客数が2.5倍に増加した。こうした成果を引っさげて、地方にある大手食品スーパーと契約を交わしていった。今では46社2700店の販売データがリアルタイムで沖縄の
データセンターに送られてくる。そうした数字を分析して、「売れる店舗」を磨き上げていく。
■売り場を機敏に変え大手に対抗
チラシやDMのコストを削減するため、店内に設置するクーポン発券機を開発したことも(2010年)
山川は特に併売戦略に力を入れる。一度、スーパーに足を踏み込んだら、次々とカゴに商品を入れてしまう「連鎖消費」を仕掛けるわけだ。この戦略で有名になった静鉄ストア(静岡市)は、JDICに期待を寄せる。
「正直、チラシも特売もやりたくない。だから、うちでしか通用しない売り場がつくれるようにデータを分析してくれ、と言っている」(静鉄ストア会長の望月広愛)
そのためには、地域や顧客の特徴や、地元のイベントなどを考慮して、次々と売り場を変えていかなければならない。大手流通が
プライベートブランド(PB)など、価格訴求型の規格品で、地方を席巻しようとしている。そこに対抗するには、消費動向に合わせて売り場を機敏に変化させるしかない。
それは、地方再生への道にもつながる。
「このままでは地方の生産者や卸業者さんが倒産してしまう。地域のみなさんが生き残っていく店にする。だって、客も社員も笑顔があふれる店の方がいいでしょう。ただ安い商品だけを求めて店にきても、買い物がつまらない」(望月)
山川が目指す先にも、「地域の店」が活力を取り戻す姿がある。流通の現場を深く知るほど、消耗戦の激しさを痛感する。ネット販売が加速度的に広まり、リアル店舗の戦いも厳しさを増している。巨大流通への対抗上、地方スーパーも店を拡大して対抗する。だが、「何が売れるか」が読めない状態で巨大な棚に商品を埋め尽くせば、廃棄ロスが増加してしまう。
■業界の営業利益率はわずか1%
山川は、ある大手卸業者から聞いた数字が頭に焼き付いている。生鮮品の廃棄率(金額ベース)は12%、総菜にいたっては18%に上る。食品売り場全体でも、5%のロスを生んでいる。一方、業界の
営業利益率はわずか1%。利益の5倍に当たる食品を廃棄していることになる。
「今の状態で、巨大流通チェーンが本気で地域別の
マーチャンダイジングを仕掛けてきたら、地方の店は淘汰されてしまう」
だから、山川は地方スーパーにインフラのごとく、無料で情報システムを広めようとしている。残された時間は少ない。
「今年が勝負だと思っている」。山川は口癖のようにそうつぶやく。そこには自社と地方スーパー、両者がともに厳しい戦いに追い込まれることへの焦燥感がある。だが、準備は整いつつある。日本の南端から、情報を武器にした「地方の逆襲」が動き出す。
=敬称略
(編集委員 金田信一郎)