2012年6月20日水曜日

脱原発、山里で誓う 鳥取・智頭へ移住の2家族

朝日新聞デジタル版(2012年6月20日)


写真・図版
・・・さん一家。「横浜での暮らしは、息をひそめている感じだった。もっと早く来ればよかった」=智頭町八河谷
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上野さん一家。「何のつてもなく引っ越したけど、近所の人が声をかけてくれて、受け入れてくれる。住めば都です」=智頭町八河谷

原発を離れ、田舎へ――。この春、幼い子連れの2家族が、関東や関西から鳥取県智頭町の山あいにある八河谷(やこうだに)地区に移住した。東日本大震災による原発事故をきっかけに、「原発頼みの便利な暮らしを脱したい」と、田舎暮らしに踏み切った。

八河谷地区は、町の中心部から車で約20分。山に囲まれた20世帯40人ほどの小さい集落で、住人の多くが60歳以上だ。
・・・さん(41)、・・さん(42)夫婦は4月下旬、長男・君(5)を連れて横浜市から転居した。それまで自営でやっていた自動車整備の仕事は廃業した。「迷いはなかった」と夫婦は口をそろえる。

昨年3月の原発事故から、放射能汚染を心配して食事に気をつかうようになった。材料の生産地が分からない食べ物を避けて外食が減り、保育園に通う・君にはお弁当を持たせた。
周囲からは過剰反応と思われ、両親や友人と食事に行くのもおっくうになった。「まるで変人扱いで、気持ちを分かってもらえないのがつらかった」と・・さん。次第に、原発に頼って過剰にエネルギーを消費する社会のあり方に、疑念が強まった。「原発に頼らない暮らしをしたい。でも、都会にいながら生活を変えることはできない」。夫婦は移住を決めた。

何の縁もない八河谷を選んだのは、「直感だった」と・・・さん。いずれの原発からも遠い場所をと、鳥取県東部に絞って移住先を探した。事前連絡なしで町役場を訪ねたとき、職員がすぐに対応してくれ、案内されたのが八河谷だった。

初めての田舎暮らしだが、「毎日おもしろすぎて」と、表情は晴れ晴れしている。高齢者ばかりの地元住民に助けられ、勇気づけられるという。

「ここでは80代の人も毎日畑仕事をして、自立している。何かに頼らずに生きようとする彼らの姿勢は、勉強になる」。直裕さんは近所の人に教わりながら、農業を勉強中だ。生活が安定するまでは、淳子さんのアルバイトや貯金を切り崩しながら、やりくりしていくという。
上野俊彦さん(32)は3月下旬、妻啓江(よしえ)さん(31)、長女澪莉(みおり)ちゃん(2)を連れて、大阪市から転居した。昨年3月の東日本大震災までは、仲間と群馬県で農場を経営していた。 
昨年3月15日、農場長から「手元の線量計の針が振り切れた」と電話が入った。その日のうちに群馬を離れ、俊彦さんの実家がある大阪に避難した。
もともと、田舎暮らしがしたくて大阪から群馬に引っ越した。大阪に戻り、新たな移住先を探した。「子どもは山の中で育てたい」との思いから、雑誌に載っていた智頭町の「森のようちえん」の記事が目にとまった。役場で八河谷の空き家を紹介され、入居を決めた。

「決め手は子どもだった」と俊彦さん。チェルノブイリ原発事故で被曝(ひばく)した子どもたちの写真を見て、娘の姿が重なったという。啓江さんは、「同じにはならないかもしれないけど、どっちに転んでも安全な方を選びたかった」と話す。

八河谷では、畑づくりに大忙しの日々。農業で生計を立てるつもりだ。俊彦さんは、「自然の中での暮らしは気持ちよくて、体が喜んでいる」。

定住支援を担当する町企画課の西川公一郎さんは、「東日本大震災以降、問い合わせが増えている。原発を避けて来る人は、今後も増えるだろう」と話す。千葉県からも新たに1世帯7人が、転入を検討しているという。
(村井七緒子)