2014年12月24日水曜日

各支局の話題【農は楽し 特区第1号の現場から】 (15)養父の味 洋菓子に

写真:手間をかけて仕込みをする上垣河大さん=養父市大屋町蔵垣拡大手間をかけて仕込みをする上垣河大さん=養父市大屋町蔵垣
 養父市大屋町蔵垣に今年5月、仏語で「大河」を意味する小さな洋菓子屋「ル・フルーブ」が生まれた。パティシエは、前回このコラムで紹介した上垣敏明さん(67)の長男、河大(こう・だい)さん(25)だ。
 この冬、2度目の寒波で雪景色になった今月中旬の週末、河大さんは自宅につくった10平方メートルほどの厨房(ちゅう・ぼう)で、地域おこしの一環で取り組む菓子作りワークショップに向け下ごしらえをしていた。厨房(ちゅう・ぼう)にあふれるユズの香り。父の敏明さんが27年前、自身の結婚記念に畑に植樹した1本のユズの木から収穫した約40個の実の皮を、シロップにつけ込んでいた。「渋皮煮をつくる要領で1日1回、5回シロップにつけて煮る作業を繰り返し、糖分を65~70%にする。細く切ってチョコにつけたり、お菓子の仕上げの飾り付けに使ったりするのですが、手間を惜しまないことがおいしいものをつくる基本です」
 中学から父の養蜂や養鶏を手伝った。料理が好きで、自宅の卵などを使って作ったシフォンケーキを地元のスキー場で販売したことも。「やるならとことんやれ」。父の言葉に二十歳の秋、修業を決意する。
 2009年のことだった。独学で作ったチョコを持って、京都府福知山市の洋菓子店を訪ねた。パティシエは河大さんの12歳年上、水野直己さん。水野さんはその2年前、仏で開催されたワールドチョコレートマスターズで総合優勝していた。その彼が河大さんのチョコを「おいしい」と言い、一番弟子にしてくれた。「今に思えば怖いもの知らず。仲間の笑い話になっている」と河大さんは振り返る。
 皿洗いに始まり、パレットナイフなどの道具の置き方なども一から水野さんに学んだ。「水野さんの動きがめちゃくちゃきれいなんです。色んな講座に出てきたが、水野さん以上に美しくかっこいい人はいない。すべてがおいしいお菓子に通じている」
 福知山のアパートに暮らし、がむしゃらに働いた。朝8時出勤、深夜の帰宅という日が4カ月ほど続いたことも。水野さんが店をリニューアルした12年、下働きを終え、チョコ部門をすべて任された。それから2年余り。出身地の福知山をこよなく愛する水野さんのように、河大さんも今年春Uターンした。
 焼き菓子やチョコをつくり、地元の道の駅やギャラリー、インターネットでも販売する。こだわるのが材料で、父の畑の一角で果物や野菜も育てる。7月、養父市で開催された「朝倉山椒(さん・しょ)Aー1グランプリ」で、山椒の香りを移したクリームが5層になった繊細なチョコ「アグリューム ジャポネ」を出品。「農業特区の養父から世界に発信できる」と絶賛され、審査員特別賞を受けた。
 「チョコは繊細で、お菓子の頂点。職人として極めるならチョコだと思います。チョコの文化を広めるのが水野さんの志ですが、私の目標でもあります」
(甲斐俊作)

2014年10月22日水曜日

利賀の民宿、廃業相次ぐ 民泊受け入れ強化へ

 南砺市利賀地域で民宿の廃業が相次いでいる。利賀村民宿組合への加盟は1980年代は約30軒あったが現在は12軒まで減った。行政視察やイベントの来場者が減り、売り上げが落ち込み、後継者を確保しにくいことが背景にある。旧利賀村時代以来の交流事業で受け入れる都市住民らの宿泊先となってきた経緯があることから、地元商工会は交流継続のため、新たな受け皿として民泊での受け入れを住民に働き掛けている。(井波支局長・笹谷泰)

 南砺市利賀地域に民宿ができたのは、旧利賀村が72年に東京都武蔵野市と姉妹都市提携を結んだのがきっかけ。同市の児童が課外活動で訪れるようになった。2年後には都内の短大の課外授業もスタート。児童や学生の宿泊の場として、農家の主婦らが切り盛りする形で民宿を営んだ。住民にとって生計を支える収入源の一つにもなった。

 その後、80年代に始まった世界演劇祭や利賀そば祭り、92年に開かれた世界そば博覧会などのイベントで来場者が膨らんだほか、当時は地域おこしのモデルとも評された村への視察も相次ぎ、繁盛していった。公共事業の作業員にも利用された。

 利賀を含む8町村合併により南砺市が誕生した2004年以降、行政視察は途絶えた。公共事業の減少も追い打ちとなった。

 武蔵野市の児童らを受け入れる7月と9月以外は安定した入り込みを確保できなくなり、収入は減少。地元商工会によると民宿全体の売り上げは1992年の約2億円から、現在は約5千万円に落ち込んだ。

 約30年間営業した「麻生」(同市利賀村)は一昨年に廃業した。切り盛りしてきた笠原さつ子さん(82)は、同居する長男夫婦が共働きのため、後継として頼みにくかったという。「睡眠時間が削られ、プライベートの時間も犠牲にせざるを得ない仕事だけに仕方ない」と振り返る。

 4年前に廃業した「才谷屋」(同市利賀村阿別当)は、世界そば博覧会があった90年代前半と比べ、宿泊客が4分の1に減った。廃業間際の時期の宿泊数は、紅葉や釣りなどを目的とした年十件程度にとどまり、営業を続けられなくなった。

 現在経営する民宿には、2013年3月末のスノーバレー利賀スキー場の閉鎖も打撃となっている。同スキー場近くの「まござ」(同市利賀村上百瀬)は冬期間に延べ20~30人のスキー客を受け入れていたが、昨冬は「開店休業」状態だった。経営する関稔さん(73)は「少しでも長く営業を続けたいが、いつまでできるだろうか」と不安を募らせる。

 こうした事態を受け、同市商工会利賀村事務所は新たな宿泊受け入れ先として民泊協力者を6軒確保した。交流事業を継続することにより、利賀の活力低下を防ぐ狙いがあるからだ。

 斉藤嘉久同事務所長(56)は「民泊に協力してくれる民家を1軒でも増やしていきたい」と話している。
北日本新聞2014/10/22 http://webun.jp/item/7131784

2014年9月30日火曜日

徳島)人目避け山村選んだ?大麻栽培など容疑の移住者ら

 大阪や愛媛から吉野川市美郷地区に移り住んだ男4人が今月、大麻の栽培や所持の疑いで県警に逮捕された。栽培を目的に、人目につきにくい山村を選んだ可能性もあるといい、自治体などが進める移住者支援への影響が心配されている。
 県警によると、4人は昨年から今年にかけ、相次いで移住した。設計士(45)と麻製品を販売する会社の役員(51)が、知人の紹介などでそれぞれ空き家を借りて入居。その後、インターネットを通じて2人と知り合った20代の2人も移り住んだ。
 逮捕時には4人の家から計数キロの乾燥大麻が押収された。設計士の男は古民家の一室を大麻の乾燥専用に使い、畑で100本以上を栽培。畑は木や雑草に埋もれ、敷地外からは見えにくい状態だった。
 「人目につかない地方の一軒家は、大麻栽培の格好の標的になる」と組織犯罪対策課の村井巨志次席はいう。地区には駐在所が1カ所、最寄りの阿波吉野川署まで車で約40分。今回は、大麻草を見つけた近くの住民の通報で発覚したが「逮捕が遅れていれば、さらに拡大したかも知れない」。
 市南西部の美郷地区は斜面に集落が散在する、のどかな山村。早春には梅が咲き、夏はホタルが飛び交う。8月末現在の人口は1102人で、旧美郷村として発足した1955年の5分の1近くに減っている。高齢化率は約5割だ。
 市は急激な過疎化人口減少への対策として、様々な移住者支援に取り組む。家を借りたい人と貸したい人を結びつける「空き家バンク」制度を設け、空き店舗で開業する人には補助金を出している。
 「町を盛り上げてくれる移住者を歓迎してきただけに、この事件はショック」と市商工観光課の担当者。移住を望む人に疑いの目を向けるわけにもゆかず、今後どう対応すればいいのか、と困惑する。
 19日にあった県議会公安委員会では、松崎清治議員が県警に移住者対策を求めた。「もろ手を挙げて呼び込む姿勢には問題がある。市町村との連携を検討しては」。これに対し、県警は「薬物に関する啓発活動を地道に続けたい」と答えるにとどまった。
 県の「新過疎対策戦略会議」委員で、地域活性化に詳しい徳島大学の真田純子助教は「事件の影響で空き家を貸し渋る人が増えるのではないか」と指摘する。
 現在の空き家バンクの制度では、自治体は貸主に希望者を紹介するだけで、その後の契約は個人間で交わされる。「悪質な移住者だった場合、貸した人に責任が集中する。地域全体で移住者を受け入れ、見守る仕組みができるといい」(藤波優)

2014年9月20日土曜日

集落存続、小学校復活にかける 縮む地方、もがく自治体

2014年9月20日01時17分
 この春、熊本の山あいの集落で、休校していた小学校が7年ぶりに復活した。たった1人の女の子を迎え入れるために。
 熊本県多良木(たらぎ)町立槻木(つきぎ)小。学校がある槻木集落は町役場から約20キロ、峠道を越えた先にある。120人近くが暮らし、10人に7人以上が65歳を超える。
 そこに昨夏、町の公募に応じて集落支援員として福岡県から上治(うえじ)英人さん(42)が移ってきた。町の非常勤職員で、お年寄りの送迎や集落のごみ拾いなどを手伝う。長女南凰(みお)ちゃん(7)が翌春に小学校入学を控えていたことから、町はわざわざ彼女のために学校をよみがえらせた。
 学校の復活は集落存続に向けた町の事業の一環だ。上治さんも大自然の中で子育てしたいと思った。小学校の再開が一家の移住の決め手に。今春には妻と南凰ちゃんと紫凰(しお)ちゃん(4)の娘2人も合流した。
 南凰ちゃんは2階建て校舎の一角で担任の先生と向かい合って学ぶ。給食は担任、教頭、用務員の3人と一緒だ。同世代の子と過ごすため、週1日は用務員が運転する車で25分かけ隣の小学校へ。「さみしくない」と南凰ちゃんは言う。
 ほかの小学校の場合、児童1人あたりの町の単年度予算が13万円に対し、ここは660万円と50倍だ。かなりの支出だが、松本照彦町長は「槻木の人を喜ばせるだけでなく、新たな世帯を呼び込むなど目に見える成果を示さなければ」とし、雇用創出も目指す。
 一方全国では、2011年度までの20年間で消えた小中学校は約5900校に上る。小学校が1校しかなく、自治体内で統合できなくなった市区町村は13年度、200を超えた。
 群馬県との境にある長野県北相木(きたあいき)村。村にある学校は北相木小のみだ。すでに中学校はない。小学校を存続させるため、村は塾の力を借りる決断をした。首都圏で人気の学習塾「花まる学習会」(本部・さいたま市)と手を結び、来年度から母子の山村留学を募る。
 名付けて「花まる北相木プロジェクト」。考える力をつける算数プリントや立体パズルなどを採り入れ、「花まるブランド」で子どもを集める狙いだ。小学校名を「花まる北相木小」とすることさえ一時検討した。倉根弘文・村教育次長は言う。「小学校を失うことは、村に未来への希望が消えること」。10月には都内で説明会を開く。
 子どもがいなくなる問題は、人口が一極集中する東京にも忍び寄る。
 都の13年の推計人口は10年前と比べて増加率は8%になる一方で、15歳未満の子どもは2%弱しか増えていない。増加は新しいマンションが建つなどした一部に限られ、11年までの10年間で閉校した小学校は93校に上る。
 東京は子どもを産み育てにくく、地方からやってきた若者たちは、なかなか子どもを持てない。東京は吸い込んだ人口を再生産せず、ブラックホールのようにのみ込んでいく。
 民間研究機関「日本創成会議」(座長・増田寛也総務相)の試算で、東京23区で唯一「消滅可能性都市」に挙げられた豊島区。1958年に約4万7千人だった小中学生が13年には約9900人まで減った。96年度には42校あった公立小中学校が、統廃合で30校になっている。
 本格的な「人口減少時代」に入った日本は、どうしたらいいのか。解が見つからないなか、自治体は手探りを続ける。
■統廃合で弱る地域
 東京の首相官邸。5月末の経済財政諮問会議で、学校統廃合の基準が取り上げられた。小さい学校が多すぎる。財政の厳しい中、統廃合が進んでいないのは問題だというのだ。民間議員たちが、時代に合わせて統廃合しやすいよう基準を見直すべきだと声をあげた。
 小学校は12~18学級、通学距離は4キロまでが望ましい――。文部科学省が定めた統廃合の基準は1956年以来、60年近く変わっていない。規模が下回る場合どうするか。新たなルール作りが求められ、統廃合への圧力が強まっている。
 高知市から約110キロの高知県大月町。海岸線の間際まで山が迫り、かつては点在する集落を行き来するには山を越えるしかなかった。各地区にあった小学校は1学年1学級を維持できず、13校(4校休校)を一気に統合し、09年に大月小学校が誕生した。国立教育政策研究所の屋敷和佳総括研究官が調べた結果、99年度から10年度までで最多の事例だった。
 「子どもたちは、地区を越えた広い交友関係ができるようになった」。鎌田勇人校長(55)は言う。鉄筋コンクリート3階建ての校舎の教室には県産のスギやヒノキを使った。だが、児童減少は止まらない。開校時に258人いた児童は、4年後の18年には約170人に減る見通しだ。
 児童の約8割がバス通学になり、最も遠い子は約14キロを30分近くかけて登校する。文教大の葉養正明教授(教育政策学)は話す。「こうした地域は、普段は少人数の学習拠点で学び、月に数回、拠点校へ足を運んで多くの児童と触れ合うネットワーク型の学習環境を整える方が有効だ」
 学校の統廃合は人口減少を加速させ、集落の崩壊を招く危険性をはらむ。
 長野県北西部の小谷(おたり)村。06年4月、役場や中学校がある村南部に、北小谷、中土(なかつち)、南小谷の村内3小学校を統廃合した小谷小学校が新たに開校した。60年には8千人弱だった村の人口は、半世紀後には6割減の約3100人になった。
 村中心部から10キロほど離れた旧中土小学校区で8月末、地元の神社で例大祭があった。県の無形民俗文化財の「狂拍子(くるんびょうし)」を、小学生の男児が2人1組で踊るのが慣例だ。小学生は5人いるものの、2人の5年生を除くと、男児は1年生1人しかいない。傍らで見守る指導役の和田初幸さん(78)は、表情が曇りがちだ。「この伝統もいつまで続けられるのか」
 旧中土小学校は60年代初頭ごろまで、300人前後の児童がいたが、高度成長期に若者が都市部に転出し、減少に転じた。78年度末で地域から中学校がなくなり、中土小は05年度末で姿を消した。
 かつては、狂拍子の保存も学校を挙げて取り組んでいたが、統廃合で地域に根ざした教育の機会は減りつつある。旧中土小出身の太田武彦村議は「都市部と遜色のない『金太郎飴(あめ)のような小学校』を作っても、地域社会の崩壊を助長するだけ」と話す。
 人口減対策の司令塔となる「まち・ひと・しごと創生本部」の設置に先駆け、8月末に首相官邸で開かれた有識者懇談会。「人口減を防ぐためには、小規模校をどんなことがあっても存続させることが重要だ」。鹿児島徳之島の大久保明・伊仙町長は訴えた。
 合計特殊出生率2・81は全国最高。伊仙町は小規模校の周りに若い人向けの町営住宅を造るなど、工夫を凝らす。大久保町長は、こう考えている。「『統廃合は時代の流れ』というのは消極的な考え方。残すにはどうするかを考えるべきだ。学校があることで世代を超えた交流が生まれる」
■韓国、地方校充実へ支援
 子供が少なくなる地域で、どう学校を維持するのか。この問題に直面しているのは日本だけではない。合計特殊出生率が1・187(13年)と、日本を上回るスピードで少子化が進む韓国では、さまざまな取り組みが始まっている。
 木曜日の午後。韓国京畿道(キョンギド)驪州(ヨジュ)市にある上品(サンプム)中学校の校舎の一室で、「ロッククライミング」の練習が始まり、何とかゴールにたどりついた生徒が、笑顔で全完根(チョンワングン)校長に抱きついた。こうした施設があるのは、特別な財政支援を受けられたからだ。
 高速道路を使えば首都ソウルから車で1時間半ほどだが、野菜農家が多い農村地帯だ。全校生徒は73人。かつては300人ほどいた時期もあるが、だんだんと減っていった。背景には、都市部への人口集中がある。人口約5千万人の韓国で、ソウルには5分の1の約1千万人が住む。
 朴槿恵(パククネ)政権は、中学に進学する際に都市部に移ってしまうケースを防ごうと、13年から15年にかけて計80校を「農漁村拠点別優秀中学校」に選定。期間は各3年で、総額1200億ウォン(約120億円)を支援するという。対象は在学生60人以上の学校で、全国に430校余りある。今年は180校から支援の希望があり、うち30校が選ばれた。
 選ばれると、自由学期制や、スポーツクラブ、芸術サークルのほか、外国語教育も充実できる。「都市の学校に劣らない特色のある学校」(教育省関係者)にするためだ。
 上品中学も昨年、「優秀中学校」に選ばれた。評判を聞きつけ、今年、学区外から9人が入ってきた。「自然の中で学べる。都市の学校のようないじめもない。保護者や地域社会との信頼関係もできる。農漁村の長所を極大化すれば、逆に都市から『教育移民』が来ることもありうる」。1年半前に、ソウル近郊の大規模な中学から着任した全校長はそう話す。
 国際的な学習到達度調査(PISA)で上位常連国の北欧フィンランド。伝統的に小規模校が多く、7~16歳の義務教育課程を教えるおよそ4校に1校が50人以下だ。その平等で質の高い教育を下支えしてきた地方の小規模校が今、存続の危機にひんしている。
 欧州経済危機をきっかけに、国や自治体の財政収支が悪化。教育予算は縮小を余儀なくされ、学校の統廃合や廃校が進んだ。02年に3600を超えていた学校数は今や7割の約2600校だ。フィンランドの教育事情に詳しい米ハーバード大のパシ・サーベルグ客員教授(53)は懸念する。「過疎化を含む人口流動はフィンランド教育の平等を崩し始めている」
     ◇
 今年生まれる子どもが、100万人に届かないかもしれない。6月までの出生数が50万人を割り込んだからだ。もしそうなれば、統計が残る1899年以来、初めてだ。人口減に直面する地方をリポートしながら、縮む時代を迎えている教育のありようを探る。
     ◇
 この連載は、浅倉拓也、岡田昇、貝瀬秋彦、斉藤智子、佐藤亜季、佐藤恵子、鈴木逸弘、渡辺志帆、編集委員・氏岡真弓、論説委員・友野賀世が担当します。

2014年9月9日火曜日

埼玉)飯能エコツアー拡大 参加者、8年で10倍に

 地域の自然を体験してもらい、観光振興につなげる「エコツーリズム」。全国に先駆けて国のモデル事業に認定された飯能市で、エコツアーの参加者が急増している。都心からの近さが功を奏し、自然を目当てにした観光客がこの8年間で10倍に増えた。一方で、観光客を呼び込み続けるための課題も見えてきた。
 市がエコツーリズムに着目したのは10年前。市域の8割近くを森林が占め、入間川や高麗川の水資源も豊富な一方で、人口減少で空き家が増え、山林の荒廃も目立っていた。
 手つかずの自然を使って、都心の観光客を呼び込めないか――。飯能市は2004年度、環境省が進めるエコツーリズム推進モデル事業で全国13地域の一つに選ばれたのを機に、エコツアーの開発に力を入れ始めた。「渓流で釣り体験」「カヌーに乗って一日漁師体験」「古民家でフランス料理を味わう」「紅葉狩りとキノコ観察」など。参加者数を制限し、専門のガイドが同行して解説するのが定番コースだ。
 こうしたエコツアーの参加者は05年度はわずか481人だったが、09年に市の全体構想が環境省からエコツーリズム推進法に基づく全国第1号の認定を受けると年々知名度が上がり、13年度の参加者は4685人に。ツアー数も当初の10から185に増えた。
 エコツーリズム担当課長の大野悟さんは「北海道の知床や鹿児島の屋久島など、指定を受けた他の著名な観光地と違い、飯能は国立公園など規制の網がかかっていない。比較的自由にツアーが企画できたのが良かった」と明かす。
 課題もある。参加者が足りずツアーが成立しなかったり、採算に見合う人数が集まらず赤字になったりすることもあるのが悩みだ。富士山や知床などを擁するライバル観光地に比べれば、里山の自然や地域の伝統文化という「売り」は地味で小規模にも映る。
 ツアーガイドもこなす駿河台大学現代文化学部の平井純子准教授は「女性限定の登山ツアー『ヤマムスメが行く』など、ツアーによってはリピーターも増えている。他の観光地にないツアーを企画し、参加者の満足度をいかに上げるかが課題だ」と話す。
 エコツアーの問い合わせは市観光・エコツーリズム推進課(042・973・2123)。(戸谷明裕)

2014年8月27日水曜日

人ひと/原発のストレスから解放


写真:シェアハウスの前に立つ延藤好英さん=和気町衣笠拡大シェアハウスの前に立つ延藤好英さん=和気町衣笠
■母子避難シェアハウス世話人・延藤好英さん(57)
 2011年7月、東京電力福島第一原発事故の放射能を恐れて避難する母子のため、和気町に一時利用のシェアハウス「やすらぎの泉」を開設し、世話人を務めている。これまでに124組が利用した。繰り返し来た母子も多く、利用者が減る気配はない。
 「福島からの母子は2組だけで、あとはみな関東から。『ただちに影響はない』『許容範囲内』との宣伝文句への限りない不信が根っこにある。不安を抱える母親は影響がないと科学的に証明されるのを待つわけにはいかないのです。原発事故は立地県だけの問題ではありません」
 「(安倍晋三首相は)アンダーコントロールなんてよく言えたものですよ。現実を見たくなくてそんな言葉にすがりついているようにしか思えない」
 本業は日本基督(キリスト)教団和気教会の牧師。もともと教会の向かいにある空き家を借りて、様々な事情で家族から離れなくてはならない人のためのシェルターにしていた。原発事故の後、県内の避難者受け入れ団体「おいでんせぇ岡山」と連携し、4組の母子避難用のシェアハウスにした。
 12年に近所に別館(4組用)を開設。家の持ち主が引っ越しする際、趣旨に賛同して貸してくれた。昨秋には1家族用の3号館も開いた。利用料は光熱費、生活備品の利用料、トイレ処理費、町内会費を含め1カ月2万8千~4万円。軽自動車、自転車も備えてある。運営経費は利用料のほか、教会や東中国教区などの信者の献金、教団からの援助でまかなう。
 利用者のうち40組が和気町など近辺に移住した。近隣に移住した人は後に来る利用者にアドバイスをしたり、地域情報を教えたりするほか、「おかやま野菜倶楽部(くらぶ)」を立ち上げ、ハウス利用後に戻った家庭へ岡山の無・減農薬の季節野菜を届けている。
 「避難者を孤立させないことが何よりも大切。関東では避難者を『福島の人が避難していないのに』と責める目で見る傾向がある。ここは同じ危機感を持っている人たちに囲まれて、そのストレスから解放される場でもあります」
 教会の仕事も忙しい。備前市の三石教会と真庭市の久世、勝山両教会の牧師でもあり、県北にも説教に足を運ぶ。「これ以上手を広げるのは正直、無理」と苦笑しながらこう話す。
 「でも、やむにやまれぬ思いで来ている人たちがいることを知ってもらうのは、私の大事な使命だと思っています」(阿部治樹)
    *
■のぶとう・よしひで 1957年1月、和気町生まれ。和気閑谷高校卒業後、東京神学大学へ。1983年、卒業と同時に和気教会に着任した。93~99年に愛知県の愛知守山教会に赴任したが、2000年に再び地元へ戻った。ラーメン好きが高じて91~93年にJR和気駅前でラーメン店を営んだ経験もある。

2014年6月29日日曜日

(プロメテウスの罠)県境の先で:20 移住者の支援始めた

 ◇No.963
 2011年10月、宮城県丸森町耕野(こうや)地区からの移住を決めた小山田竜二(38)・伊織(42)夫婦は、そのことを打ち明けられずにいた。
 豊かな自然が気に入ってこの町に住んだ。しかし原発事故で、丸森で得られる良さがなくなったと思う。となれば、丸森にいる意味はない。
 「でも、避難しないことを決めた人たちもいる。だから打ち明けられなかったんです」
 丸森は、その後12月に国が定めた「自主的避難等対象区域」から外れた。移住する場合、国や東京電力からの補償はなく、費用は自腹だ。県境で接する福島県伊達市は、賠償金がもっと出るのに。
 移住先は奈良県宇陀(うだ)市だった。20代のころ、奈良県内の知人宅で居候したことがある。そのときの経験からたどりついた。
 12年3月、耕野地区住民の集まりがあった。その場で伊織は移住を告白した。批判を覚悟していたのに、住民は「がんばって」と励ましてくれた。ただただ、うれしかった。
 小山田は、丸森を去ったことを避難とはとらえていない。丸森から遠く離れ、少なくとも丸森よりいい場所へ移住する。そう考えないと、気に入っていた丸森の生活をなげうつ意味がない。だからこそ、原発事故の影響は大きかったと考えている。
 移住後の12年7月、小山田夫婦は移住者の受け入れや支援を行う団体「やまとのだいち」を立ち上げた。支援を模索していた奈良県内のフリーマーケット運営者や、被災者支援に取り組む団体と動きが一致した。
 東北から移住や保養で奈良に来る場合、子ども1人に交通費1万円が出る。活動の趣旨に賛同してくれる人たちの寄付でまかなっている。
 これまで、福島県などから9世帯21人が小山田家に滞在した。宮城県からはまだいない。
 小山田は、丸森を出ると決めたときに、後ろめたさや不安が大きかった。だからこそ、移住を考える人がいれば、積極的に受け入れてあげたいと思うのだ。
 「自分たちにしかできないことだと思ったんです」
 そんな小山田が相談を重ねていたのが、同じ耕野の養蜂業石塚武夫(いしづかたけお)(43)だった。千葉県から耕野へ1997年に移住した。
 石塚も原発事故直後、妻と3人の子どもを千葉の実家に一度避難させた。だが約1カ月後、小学校の始業式に合わせて戻した。以後は避難していない。
 (岩堀滋)

2014年5月15日木曜日

(人生の楽園 夢への道)農家民宿 高知県三原村 東慶祐さん・久美さん

2014年5月15日16時30分
 ■どぶろく、交流に酔う
 東慶祐(ひがしけいすけ)さん(57歳)・久美さん(52歳)
 「昨年の今日に泊まった」と一文を添えたメールがお客さんから届き、「今年は5月の連休過ぎに伺いたい」とあった。東慶祐さん、久美さん夫妻の表情が思わずほころんだ。
 夫妻は、高知県三原村で農業をしながら、農家民宿「くろうさぎ」を営む。昨年は約300人が投宿した。リピーターも多く、開業から2年足らずの間に4度訪れた人もいた。遍路道が近く、お遍路さんの利用が多い。にがり農法で手塩にかけたコシヒカリで造ったどぶろく「こぼれ雪」や、慶祐さんが釣ってきた魚、久美さん自慢の手料理をふるまう。
 村は2004年にどぶろく特区となり、7軒がどぶろくを造る。夫妻は「農閑期の収入源になる」と加わった。実は2人ともお酒を飲まない。「酒造りなんて無理」と慶祐さんは最初反対したが、「自慢のお米に付加価値が付く」と説く久美さんに根負け。お酒が出せる店などがないと酒造免許がおりないので、07年に納屋を改装して農家喫茶を始め、免許を取った。
 店に立ち寄るお遍路さんとの交流は楽しい。「泊まってもらえば、もっとおしゃべりできる」と考え、12年に民宿を開業した。村の商工会の勧めで日本政策金融公庫から融資を受け、自己資金を加えた約800万円で離れの車庫を改築。二間を客室として提供している。
 お客さんに夕食をふるまっていると、ご近所さんも一杯やりに来て話に花が咲く。その輪の中、夫妻は会話に酔いしれる。慶祐さんは「こんな出会いが楽しい。民宿をやってなきゃ、絶対会えなかった人たちだからね」と話す。
 (沢田歩)
     *
 1泊2食付6500円。どぶろく「こぼれ雪」(720ml)は1300円。電話0880・46・2505
     ◇
 この記事はテレビ朝日系「人生の楽園」と連動しています。東さん夫妻の回は、17日午後6時から放送予定です。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11136819.html?_requesturl=articles%2FDA3S11136819.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11136819

2014年4月23日水曜日

ビッグデータ革命児、沖縄から仕掛ける流通下克上

2014/4/23 7:00 日本経済新聞 電子版

 たくましく成長を追い求める起業家たち。新たな潮流を巻き起こそうとバージョンアップを続ける彼らの挑戦を「アントレプレナー3.0」で紹介していく。
 初回の舞台はビッグデータの盲点だった食品売り場。生鮮品や総菜は、店がバラバラに商品コードを作っていた。そこに目をつけて共通コードを作り、食品売り場のビッグデータ革命を目指す男がいる。沖縄が生んだIT起業家の「流通革命」を追う。

■全国の食のデータ集積狙う

新会社を設立したアイディーズ社長の山川朝賢
新会社を設立したアイディーズ社長の山川朝賢

 「こんなデータ会社をつくったら、アマゾンが喜ぶだろう。そっくり買収しようとするんじゃないか」

 ある流通業者は、新会社設立構想を知って、そう唸った。

 ビッグデータの活用が騒がれる時代、実は重要な販売データが「分析不能」とされてきた。それが、人々の生活の中心である「食」のデータだった。

 野菜や魚などの生鮮品は、スーパーの店頭で「熊本産キャベツ」や「アラスカ産サーモン」など様々な表記で販売されている。総菜も各店舗が調理している。こうした食品は、店ごとに商品コードが異なるため、全国の販売動向を把握することができなかった。

 だが、「全国統一コード」を開発して、食のデータの集積を狙う会社が3月下旬、日本の南端、沖縄に設立された。

 日本流通科学情報センター(JDIC)。沖縄県豊見城市に拠点を置く会社は、同県のIT(情報技術)ベンチャー、アイディーズ社長の山川朝賢(56歳)によって設立された。

 「ITの革命児」。山川は沖縄でカリスマIT経営者として知られる。県内大手システム会社エス・ピー・オー(現おきぎんエス・ピー・オー)を創業し、経営が軌道に乗った1998年に全株を手放して会社を離れている。2002年にデータ分析事業を手がけるアイディーズを立ち上げ、全国の小売店から食品の販売データを集め始めた。そこで山川は壁に突き当たる。加工食品はJANコードで統一されているため、各社の情報を統合して、「売れ筋」などを分析できる。だが、生鮮品や総菜は、統合データをつくれず、精緻な販売策に落とし込めない。

 そこで、山川は、生鮮食品や総菜の商品コードを共通化する技術「i─code」の開発を続けてきた。2年前、完成が近づいた頃、山川はある不安に襲われた。

 全国的には無名に近い沖縄の会社に、日本中の流通業者が販売データを渡すだろうか。しかも、ライバル店が参加していれば、数字が筒抜けになる恐れもある。

 そこで、山川は経済産業省と協議を重ねて、「公的機関」を目指すことにした。その結果、JDICは流通から商社、公益財団法人、金融機関、業界団体まで、幅広く出資を仰ぐ方針を打ち出している。現在は沖縄県内の企業6社が出資しているが、6月に増資して株主構成を一気に広げる予定だ。

■協力店にはデータを無料提供

 情報投資が難しい地方スーパーにとって、強力な戦略ツールになる。JDICに販売データを提供すれば、その数値が解析されてマーケティング情報として戻ってくる。周辺のライバル店と比較した「販売成績」なども無料で提供される。すでに東急ストア(東京・目黒)や西鉄ストア(福岡県筑紫野市)など、地方スーパー30社1300店のデータをi─code化している。

 山川がもくろむのは、地方スーパー連合による下克上だ。現在、地方の食品スーパーが参加する新日本スーパーマーケット協会と提携交渉を進めている。会員企業は1125社に上る。ここを取り込めば、データの精度は一気に高まる。



生鮮品は、店ごとに商品も価格も様々。果たしていくらにしたら購買につながるのか
生鮮品は、店ごとに商品も価格も様々。果たしていくらにしたら購買につながるのか

 「大手流通が蓄積しているデータよりも、強力なマーケティングツールになる」

 業界大手の流通会社が、自社の販売データを解析しても、取り扱っている商品数には限界がある。だが、地方スーパーは地元産品や中小メーカーの商品なども扱うことから、膨大なデータが集積する。

 しかも、地方スーパーは、定番商品でも店によって販売価格が異なる。また、特売をかける店があれば、値下げの効果も測ることができる。しかも、周囲のライバル店への影響も数値として出てくる。こうした地域の食品販売の比較分析は、パソコンやタブレット端末に無料で提供される。

 「流通業のインフラを目指す。だから、データを提供してくれる店からはカネを取らない」

 逆に、こうした販売動向を食品メーカーや卸業者に、商品開発やマーケティング用のデータとして売っていく。その魅力を高めるためにも、山川は様々なビッグデータとの連携を模索している。すでに、天気予報を販売予測に結びつけているが、今後は交通データやテレビ番組の情報との連動も視野に入れる。CMを打った地域で販売がどう変化したのか、ライバル商品の動きも含めてリポートするという。

■「上得意客」対策は何もなし

 インターネットとの連携も進めている。日本最大の料理サイト「クックパッド」と提携、料理レシピが紹介された時、食材の販売がどう変化するのか分析している。

 「日本の地方スーパーを情報武装したい。このままでは、海外勢や大手流通チェーンに飲み込まれてしまう」

 大手の軍門には下らない――。それは、山川の半生にも重なる。

 那覇市に生まれた山川は、コンピューターの専門学校を卒業すると、地元の大手電機メーカー系列のシステム会社に就職した。1988年、30歳の時に独立、エス・ピー・オーを立ち上げる。だが、会社が安定してくると、システム構築よりも、集まったデータを分析する事業に魅力を感じていく。そのきっかけとなる出来事があった。

 地元の食品スーパーのシステムを受注しようと、店に入って棚卸しや清掃を手伝った時のこと。そこで目にしたのは、レジで販売データを取りながらも、まったくマーケティングに活用していない実態だった。販売促進策は、チラシによる特売ばかり。だが、こうした安売りで集まってくるのは、価格ばかり気にしている移り気な客層だった。日ごろから店を頻繁に利用して多額のカネを使う「上得意客」には、何の対策も打たれていない。

 「顧客データをじっくり分析してマーケティング戦略を編み出せば、日本中の小売業が乗ってくるはずだ」。山川は全国に打って出ると宣言した。だが、社員の猛反発に遭う。技術系の社員はシステム構築にこそ長けているが、データ分析には興味がなかった。沖縄から離れることへの抵抗感も強かった。

 そこで、株を手放して社長職を降り、家族も沖縄に残して単身で東京に出ることになる。成功のモデルがあった。カナダのマイレージカード運用会社に視察に行くと、様々な店舗と提携して販売情報を吸い上げ、消費を連鎖させるマーケティング戦略を展開していた。しかも、データセンターは米アリゾナ州、メール印刷はメキシコに拠点を置き、コストを抑えている。その時、山川には今の構想がすでに浮かんでいた。企画と営業部隊を東京に置き、データセンターやDM(ダイレクトメール)送付の拠点を沖縄にする、と。

■娘からの手紙に再起を決意

 だが、山川は東京で苦戦を強いられる。ポイントカードの発行会社を設立するが、大手企業は名もないベンチャー企業に顧客データを渡そうとしない。5年間の苦闘で借金が膨れあがり、東京のアパートは電気も水道も止められてしまった。

 沖縄の家に戻り、思わず弱音を口にした。それを聞き、妻はうつむいて涙を流した。

 「もう、沖縄に帰ってきたら」

 その言葉に心が揺れた。悩みながら東京に戻り、カバンを開けると1枚の封筒が出てきた。中には1万円札と、小学生になったばかりの2人の娘からの手紙が入っていた。

 「お父さん、がんばってね。これで電気と水道をつけて」

 貯めていた小遣いを入れてくれたのだろう。家族に負担をかけながら、何もできないまま諦めようとしている自分が情けなくなった。やりきるしかない。心の中で、そう繰り返した。

 2002年、再起を懸けた山川は、九州に降り立った。そして、西鉄ストアとの交渉に入る。「うちにデータを任せてくれたら、上得意客に効果的なDMを打つことができます」。そう売り込んだが、なかなか首を縦に振ってくれない。そこで、山川はこう切り出した。

 「成果がなければ、おカネはいりません」

 クーポン券が1枚利用されると22円の出来高が支払われる契約となった。DMを郵送していたら、コスト倒れになる。仕方なく、店頭に立って2000枚のクーポンを手で配った。そして、以前は5%だった利用率を35%まで上げることに成功した。

■数字と格闘、「法則」見つける

 ある日、山川はクーポンの利用状況などの顧客データを持って、アパートに籠もった。

 「もっと効果的な販促があるはずだ。その法則を見つけるまで、会社に出てこない。あとは任せた」

 社員にそう言い残して、ひとりで数字と格闘する。残された社員は、新しいデータが出てくると山川のアパートに届けた。そして3カ月が過ぎて、ついに「法則」を見つけた。

 月に2万円以上を購入する「Aランク」の客は、翌月に3割がランク外に消えている。その多くが、一時的に高額の商品を買った人だった。しかも、来店頻度は週1回(月4回)。だが、月に6回以上来店する人の多くは、Aランクのリストに載り続けている。

 そこで、Aランクの顧客に50円のクーポン券が6枚付いたDMを郵送した。すべて利用すれば、月に6回、店に足を運ぶことになる。すると、クーポン利用率が80%を超え、Aランクのリストから消えていく客がほとんどいなくなった。そこに、新規のAランク客が加わり、優良顧客が雪だるま式に増えていった。

 04年、コープさっぽろ(札幌市)でこの手法を展開すると、5年間でAランクの客数が2.5倍に増加した。こうした成果を引っさげて、地方にある大手食品スーパーと契約を交わしていった。今では46社2700店の販売データがリアルタイムで沖縄のデータセンターに送られてくる。そうした数字を分析して、「売れる店舗」を磨き上げていく。

■売り場を機敏に変え大手に対抗



チラシやDMのコストを削減するため、店内に設置するクーポン発券機を開発したことも(2010年)
チラシやDMのコストを削減するため、店内に設置するクーポン発券機を開発したことも(2010年)

 山川は特に併売戦略に力を入れる。一度、スーパーに足を踏み込んだら、次々とカゴに商品を入れてしまう「連鎖消費」を仕掛けるわけだ。この戦略で有名になった静鉄ストア(静岡市)は、JDICに期待を寄せる。

 「正直、チラシも特売もやりたくない。だから、うちでしか通用しない売り場がつくれるようにデータを分析してくれ、と言っている」(静鉄ストア会長の望月広愛)

 そのためには、地域や顧客の特徴や、地元のイベントなどを考慮して、次々と売り場を変えていかなければならない。大手流通がプライベートブランド(PB)など、価格訴求型の規格品で、地方を席巻しようとしている。そこに対抗するには、消費動向に合わせて売り場を機敏に変化させるしかない。

 それは、地方再生への道にもつながる。

 「このままでは地方の生産者や卸業者さんが倒産してしまう。地域のみなさんが生き残っていく店にする。だって、客も社員も笑顔があふれる店の方がいいでしょう。ただ安い商品だけを求めて店にきても、買い物がつまらない」(望月)

 山川が目指す先にも、「地域の店」が活力を取り戻す姿がある。流通の現場を深く知るほど、消耗戦の激しさを痛感する。ネット販売が加速度的に広まり、リアル店舗の戦いも厳しさを増している。巨大流通への対抗上、地方スーパーも店を拡大して対抗する。だが、「何が売れるか」が読めない状態で巨大な棚に商品を埋め尽くせば、廃棄ロスが増加してしまう。

■業界の営業利益率はわずか1%

 山川は、ある大手卸業者から聞いた数字が頭に焼き付いている。生鮮品の廃棄率(金額ベース)は12%、総菜にいたっては18%に上る。食品売り場全体でも、5%のロスを生んでいる。一方、業界の営業利益率はわずか1%。利益の5倍に当たる食品を廃棄していることになる。

 「今の状態で、巨大流通チェーンが本気で地域別のマーチャンダイジングを仕掛けてきたら、地方の店は淘汰されてしまう」

 だから、山川は地方スーパーにインフラのごとく、無料で情報システムを広めようとしている。残された時間は少ない。

 「今年が勝負だと思っている」。山川は口癖のようにそうつぶやく。そこには自社と地方スーパー、両者がともに厳しい戦いに追い込まれることへの焦燥感がある。だが、準備は整いつつある。日本の南端から、情報を武器にした「地方の逆襲」が動き出す。

=敬称略

(編集委員 金田信一郎)